図書館で借りたビル・エヴァンス本(借りんの2回目)返す前に
色々なインタビューの重要箇所 書き写しとかんとアカン
そこまでせんと アカンと思う
ビル・エヴァンス+スコット・ラファエロ+ポール・モチアンの組み合わせは
トリオってそーでないとアカン
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1956年もしくは57年にエヴァンスがラファエロの演奏を最初に聴いた時
「色々なアイデアが次々に生まれ出てくるのに、それを上手に扱えないようで、まるで跳ね馬だった。」
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『・・・・みんな辞めててしまいまいした。仕方ないので、メンバーをすぐ探したんですが、
三週間のうちにドラマーが四人、ベーシストが七人も代わりました。
あげくの果てに巡り会ったのがスコット・ラファエロとポール・モチアンだったのです。
当時、スコット・ラファエロはまだ23歳という若さで、作曲家を志望しているようでした。
私はスコッティが何の用事で私に会いにきたのかわかりませんでした。
ところが意外にも彼は私と一緒にプレイしたいというのです。
もちろん6人ものベース奏者に逃げられた後ですから、私は大歓迎しましたよ。
一方ポール・モチアンは当時非常に忙しいプレイヤーで。にもかかわらず、彼も私と一緒にやろうといってくれたのです。
スコット・ラファエロもポール・モチアンもその時、トリオとしての仕事を最優先して、恒久的なトリオにしていこうと約束し合いました。
もっともトリオにそんな仕事はあるはずはなく、最初はバラバラに仕事したりして耐え忍びました。
そんな困難な状況の元で「ポートレイト・イン・ジャズ」や「エクスプロレーションズ」といったアルバムを録音し、
1961年6月にヴィレッジ・ヴァンガードで2枚実況録音を録りました。
ところが、この後すぐスコッティが郊外に住んでいる母親の家からの帰り、車もろとも大木に激突して、死んでしまったのです。
ヴァンガードの実況版盤が発売されたのはその一年後のことです。幸運にもこれがヒットしたんです。
私のトリオが順調にゆくようになったのは、このアルバムのおかげだったのです。
ところがもう、その時にはスコット・ラファエロは自動車事故で死んでいたのです。
不幸にもスコッティはとうとう死ぬまで苦しい生活しか知らなかったのです。』
(ビル・エヴァンス)
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『一度もエヴァンスは自分のバンドに入ってくれとは言わなかった。彼は一度だって自分がリーダーとは思わなかったんだ。
トリオはいつもメンバー全員がリーダーという気持ちだった。だからビルが仕事を持ってくるのではなくて、メンバー個々がそれぞれやりたい仕事を持ってきては全員に意見を聞いて、それをOK出していた。もっともトリオの仕事なんてそうあるわけじゃないから、現実にはくる仕事は何でも引き受けていたよ』
『スコット・ラファエロはその当時近くにあった別のジャズクラブに出ていた。休憩時間にはよく僕たちのトリオに飛び入りしてたんだ。とにかく最初から彼を入れた演奏はシックリいっていた。ビルもスコットも僕もすぐそのことに気づいたよ』
『別に誰が何か言うわけでもなかった。ただ最初からインスピレーションみたいなものがどんどん湧いてきたんだ。
それまでのトリオっていうのは言ってみればピアノとリズムという感じだった。ベースとドラムはピアノの従属的な楽器だったんだ。それが僕たちは対等に演奏することで、何か新しい可能性を見いだせたように感じた。これだ!って演奏中に何度思ったかしれやしない。それはビルもスコットも同じだった。今日はどこまでこのトリオで行けるんだろうって演奏する前は当事者の自分たちがワクワクしていたほどさ。それくらいあのトリオは音楽的に充実していたし、互いにわかりあえていたんだろうね。』
『便宜上はビルがリーダーだったけど、三人がともにリーダーの気持ちで演奏していたからだろうね。ビルはいつだって僕たちにそう接してくれたし、僕たちもビルに使われているなんて感じたことは一度もなかった、あらゆる点でお互いが対等だったんだ。こんな気持ちで演奏ができたことは後にも先にもないからね
『一度も音楽について喧嘩したことはなかったけれど、よく互いに意見交換した。ただ音楽をこういう方向に持っていこう、といった話は一度も出なかったね。たとえば僕はこうやるから君はその時こういう感じで弾いてくれ、なんていうことは誰も言わなかった。演奏になってしまえば本当に自然になすがまま』
『よくぞ集まったという感じ。これだけ暗黙の内に互いの気持ちがわかりあえること自体ちょっと考えられないことだろう。特別な場所に特別な人達がものの見事にはまったっていうことかな。大体リハーサルなんか一度もしたことないからね。それでもステージに上がると初めての曲だってピタリと合ってしまった。やっている自分たちの方が怖いものを感じた』
(ポール・モチアン)
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トリオの究極の姿がここにあると思いました 「Portrait in Jazz」
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