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「無酸素状態になり気を失いそうになる直前ぱっとひらめく。」ドクター・中松他

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2014年東京都知事選挙


都知事選 主な候補者の横顔
2014年1月28日 朝日新聞DEGITAL

◆知事選候補者一覧 (届け出順)


 ひめじ けんじ 61 無新


 宇都宮(う・つの・みや)  健児(けん・じ) 67 無新

          〈共〉〈社〉


 ドクター・中松(なか・まつ) 85 無新


 田母神(た・も・がみ)  俊雄(とし・お) 65 無新


 鈴木(すず・き)   達夫(たつ・お) 73 無新


 中川(なか・がわ)   智晴(とも・はる) 55 無新


 舛添(ます・ぞえ)   要一(よう・いち) 65 無新


 細川(ほそ・かわ)   護熙(もり・ひろ) 76 無新


 マック  赤坂(あか・さか) 65 緒新

マック赤坂・政見放送(2011年・大阪府知事選挙)

マック赤坂(スマイル党) 2012年度東京都知事選挙の政見放送


 家入(いえ・いり)   一真(かず・ま) 35 無新


 内藤(ない・とう)   久遠(ひさ・お) 57 無新


 金子(かね・こ)    博(ひろし) 84 無新


 五十嵐(いがらし)  政一(まさ・いち) 82 無新


 酒向(さ・こう)   英一(えい・いち) 64 無新


 松山(まつ・やま)   親憲(ちか・のり) 72 無新


 根上(ね・がみ)    隆(たかし) 64 無新


  (年齢は投票日現在。四角囲み政党は推薦)


 ◆プロ野球選手めざした 宇都宮健児氏 


 徹底した現場主義者だ。2020年東京五輪でカヌー競技予定地となり自然保護団体が反発している葛西臨海公園、多額の予算が問題視される新国立競技場予定地、移転問題に揺れる築地市場……。足を運び、住民たちと対話してきた。優しいまなざしを向ける一方、貧困や格差問題には激しい怒りを持って権力と戦う。


 愛媛県出身。約43年間の弁護士活動を通して、多重債務問題やオウム真理教の被害者救済など、常に弱い人の立場に立って活動してきた。分厚い法律の壁に挑んでこられたのは、尊敬する両親の姿があったからだ。


 少年時代に一家で大分県の国東半島へ入植。貧しさの中でも黙々と働き続ける傷痍(しょう・い)軍人の父の姿は今でも目に焼き付いている。両親に早く楽をさせたい、とプロ野球選手を目指したが、高校時代に身長が165センチで止まった。「勉強でいくしかない」と思いを定め、東大へ進む。在学中の22歳で司法試験に合格すると大学は中退した。「組織の歯車ではなく、自分の力で人助けがしたい」。その思いは今も変わらない。


 前回12年の都知事選に脱原発、脱貧困などを掲げ、初めて立候補した。「都政を都民の手に取り戻し、安倍政権にノーを突きつける」と、再び挑むことを決意した。事務所スタッフは若手が多く「今度こそ」と意気込む。


 演説の最後に力込めて訴える。「私たち一人一人の力は微力だが、無力ではない。つながれば大きな力になる。社会を変えられる」


 ◆忠犬ハチ公 会って感銘 ドクター・中松氏

  

 「発明は85歳を迎えた今でも、泉のようにわいてくる」。これまでの発明数は3400件を超え、発明王エジソンの3倍に上るとも言われる。


 発明の原点は、誰かを助けたいと願う気持ちだ。14歳の頃、母親が一升瓶に入るしょうゆを小瓶に入れかえる作業に苦労していた。少しでも楽にしてあげたいと、液体を吸い上げるポンプを生み出した。後の「灯油ポンプ」の原理につながったとされる。


 世界的にユニークな研究に贈られるイグ・ノーベル賞も受けている。「発明と政治は人を助けるという意味で共通している」が持論だ。


 都知事選に立候補すること7回。「売名行為」とからかわれることもあるが、出続けるのには訳がある。二十数年前、尊敬する海軍時代の先輩が亡くなる直前、枕元で「リーダーになって日本を再興してほしい」と頼まれた。「遺言を実行している。当選するまで選挙には出続ける」


 体を鍛えるために週2回、スポーツジムのプールに通っている。水中に潜り、息を止める。「無酸素状態になり、気を失いそうになる直前、ぱっとひらめく。発明した水中でも書けるペンとメモで記している」。宇宙のエネルギー活用、空気発電といった政策はここで生まれた。


 第一声と選挙戦最終日の最後の訴えは、渋谷・ハチ公像前を選んだ。子どもの頃、主人を待ち続ける実物の忠犬ハチ公に会い、感銘を受けたという。「勤勉さ、約束を守る姿を尊敬している」


 ◆顔は怖いけど「いい人」 田母神俊雄氏


 演説でお気に入りのフレーズがある。「顔は怖いけど、本当にいい人なんです」。出身地・福島県郡山市のなまりが残る口調で、すっと聴衆の懐に入っていく。


 幕僚長まで上り詰めた航空自衛隊では部下の良いところを見つけ、褒めるように心掛けてきた。「人間は感情の動物。馬鹿にした態度や言葉遣いは反発を招き、いざというときに任務遂行ができない」


 野山を走り回った子ども時代。若い女性教師の引き出しに蛇を入れるいたずらもした。中学校では陸上競技に打ち込み、駅伝大会の選手になった。


 「学生運動にはまることを恐れた」父の薦めで、防衛大学校へ進む。フィールドホッケー部では正選手として活躍。強豪の天理大学を相手に、チーム唯一の得点を奪ったのが思い出だ。


 自衛隊では1500メートル走や懸垂など基準に達するまで何度もやらされた。真っ暗な山道を1人で歩くのは、訓練とわかっていても怖かった。今でも毎朝の腹筋、背筋、腕立て伏せを欠かさない。週に3、4回は6キロを走る。


 投稿した懸賞論文が物議を醸したのは2008年。「我が国が侵略国家だったというのはぬれぎぬ」と書き、航空幕僚長を更迭された。「首になるとは思わなかったが歴史の見直しが動き始めたことはよかった」。定年退職後は講演で全国を回った。


 南北朝時代の武将・楠木正成を尊敬する。「負けると分かっていても正義だと思えば突っ込む。そうすれば後の時代に何か生きる」



 ◆第2志望の人生だった 舛添要一氏


 選挙カーから身を乗り出し「世界一の東京に」と声を張り上げ、「4年間で待機児童ゼロ」「多摩地域に五輪キャンプを」など、聴衆に応じて新政策を繰り出す。巣鴨の地蔵通りで握手攻めにあい、「私は巣鴨のアイドル」と悦に入った。


 北九州市出身。国際政治学が専門で、東大助教授時代から深夜の討論番組に出演し、知名度を高めた。認知症の母を「遠距離介護」した経験から、政治家転身を決意。1999年の都知事選で落選したが、2001年の参院選で158万票の大量得票で初当選。2期

目で厚生労働相として年金記録問題などに取り組んだ。


 順風に見えるが、「第2志望」の人生という。父を中学2年で亡くし、奨学金で高校、東大へと進んだ。小説家志望だったが法学部へ。東大に残れずパリに留学。「思い通りでなくても、引き受けた以上はやる」


 鼻っ柱の強さは折り紙付きだ。40歳の時に東大の体質を批判して辞表を提出。参院議員時代には当時の安倍首相を「裸の王様」と批判、09年に下野した自民党を「歴史的使命は終わった」と言い切り、新党改革を立ち上げた。「決断が速く、決めたらやり抜く。ただ、慎重にすればよかった面もある」と自己分析する。


 「知事になっても改革を?」と記者から問われ、「人生と同じで、政治の世界で100%の解決は望まないほうがいい。ホームランを狙うより着実に塁を進めて1点差でも勝つ」。14年間で政治のしたたかさも身につけた。


 ◆「戻るまい」と思ったが 細川護熙氏


 「二度と政治の世界には戻るまいと思っていた。ドロドロして、自分とは一番合わない世界」とは、首相を経験しての本音だ。


 新聞記者を経て政界入りし、衆院議員2期、熊本県知事、参院議員3期を務めた。1992年に日本新党をつくり、新党ブームの火付け役に。93年、第79代内閣総理大臣に就任して非自民連立政権を樹立。38年間続いた55年体制に終止符を打ったが、1億円借り入れ問題などで1年で辞任。60歳で政界を引退した。


 神奈川県・湯河原に工房を構え、陶芸や絵画ざんまいの日々。ようやく手にした穏やかな生活をなげうち、首都の知事選に挑ませたのは何だったのか。


 「東日本大震災以降の日本の政治に、いてもたってもいられなくなった」。周囲には「国の存亡の時。討ち死には覚悟の上だ」と漏らした。「脱原発」を掲げ、盟友の小泉純一郎氏と「元首相連合」を組んだ。


 熊本藩主・細川家の第18代当主でもあり、「殿」と呼ばれることも。出馬について、政権の閣僚から「殿、ご乱心」と皮肉られたが、「今さら出てきても、袋だたきにあうのは百も承知」と、意に介さない。


 小泉氏と並んで出馬表明をした1月14日が76歳の誕生日だった。アメリカの詩人サミュエル・ウルマンの詩の一節、「年を重ねただけでは老いない。理想を失ったときに初めて老いが来る」を引き、こう力を込める。「世の中の不条理と戦う意志があるうちは、まだ老人ではないのです」


 ◆フォロワーは約8万人 家入一真氏


 ほかの候補者たちがスーツ姿で街頭に立って都民に訴えるなか、ひとり革ジャンにジーンズ姿で手にしたスマートフォンから発信を続ける。「ネットの向こうには、かつての自分のような人がたくさんいる。多様な人が生きやすい居場所を東京につくりたい」


 福岡県出身。中学2年でいじめられ、ひきこもりになった。外出するのが怖くなり、高校を中退。押し入れの中に持ち込んだ中古パソコンを開き、見知らぬ人と電子掲示板で会話する「パソコン通信」だけが救いだった。


 新聞配達のアルバイトを経て、出会い系サイトで知り合った妻と結婚。22歳のころ、インターネットのサーバーを貸す会社を立ち上げた。社名は新聞配達の少年を意味する「ペーパーボーイ&コー」。ネットに可能性を見いだす仲間が集まり、社員は100人、売上高は20億円を超えた。29歳でジャスダック市場に史上最年少で上場した。


 近年、ひきこもりや就職活動に苦しむ若者が安い家賃で入れるシェアハウス「リバ邸」を全国5カ所に設けた。「孤立するお年寄り、自殺する若者。居場所のない人たちが東京にはあふれている」。縁のなかった政治の世界に踏み出した。


 街頭には立たず、ネット中心の選挙活動。政策もネットで募る。表に出にくい人たちの声を吸い上げたいとの思いからだ。告示された23日、約8万人ものフォロワーがいるツイッターでこうつぶやいた。「みなさんはどんな居場所が欲しいですか?」

投票は2014年2月9日に行われる予定

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