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中山進死刑囚が病死

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中山進死刑囚が病死=仮出所中に2人刺殺

大阪府豊中市で1998年、仮出所中に交際女性の夫ら2人を刺殺したとして、
殺人などの罪に問われ死刑が確定した中山進死刑囚(66)が15日夜、食道がんのため大阪医療刑務所で死亡した。
法務省が16日未明、発表した。
 
中山死刑囚は2001年に一審大阪地裁で死刑判決を受け、06年に最高裁で確定した。 

時事通信 5月16日(金)



事件当時年齢 50歳


犯行日時 1992年3月5日




1998(平成10)年2月19日1:00過ぎ、大阪・豊中市の路上で建築作業員の中山進(50)は、
交際していた女性の別居中の夫で田中勝也さん(仮名)(37)を手製の槍や包丁で胸や背中を滅多刺しして殺害。
この夫の知人で一緒に歩いていたスナック従業員の女性(40)も口封じのため同様に殺害して逃走した。

この時、たまたま非番で近所にいた警察官ら3人が女性の悲鳴を聞きつけた。
そこで悲鳴の聞こえる方向に駆け寄ったところ、男女2人が前身血まみれで倒れているのを発見。
現場から車に乗って逃走しようとした中山を3人が追いかけた。
間もなく、中山の運転する車は狭い路地に入って立ち往生したため、この瞬間に3人は中山を取り押さえて、
通報で駆けつけてきた警察官に引き渡した。

中山は、阪神淡路大震災の復興事業の際、建設作業員として大阪にやってきた。
この時、田中さんの妻と知り合い交際するようになった。
田中さんは妻と別居中だったが、離婚には応じなかった。
このため、中山は田中さんを殺害しないかぎり田中さんの妻と一緒にはなれないと思い殺害を計画した。

中山は、1970(昭和45)年3月に高知県で銀行の警備員をライフル銃で射殺。強盗殺人の容疑で逮捕され、1審の高知地裁では死刑判決。
1973(昭和48)年、2審の高松高裁で無期懲役を言い渡されて確定。
18年間服役して1991(平成3)年に岡山刑務所を仮出所していた。


中山は、公判では殺意を否認して、「もみ合った際に偶然包丁が刺さった」と主張したが、
2001(平成13)年11月20日、大阪地裁は、「被告は、もみ合った形跡もなく、何度も突き刺して殺害した」として殺意を認定し死刑を言い渡した。

中山は控訴したが2003(平成15)年10月27日、大阪高裁は1審を支持して死刑判決。

2006(平成18)年6月13日、
最高裁は、計画的な犯行と断じた上で「18年間にわたる服役にもかかわらず、
凶暴で反社会的な行動傾向は改善されていない」として中山の上告を棄却して死刑が確定した。


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