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「今、言えることはごめんなさい」栃木・旧今市の女児殺害事件,勝又拓哉容疑者(32)

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人付き合い苦手=毎夜コンビニ弁当−女児殺害で逮捕の勝又容疑者

栃木県今市市(現日光市)の吉田有希ちゃん=当時(7)=殺害事件で逮捕された勝又拓哉容疑者(32)。
人前では話がうまくできなくなるタイプで、話し掛けても「はい、はい」としか返事をしなかったといい、人付き合いが不得手だったという。

知人らによると、勝又容疑者は少年時代、後に有希ちゃんが通った同市立小学校に転入した。
外国籍でいったん日本を離れたが、1996年8月、台湾の学校から同市立中学に移り、2009年5月、日本に帰化した。

小中学校の同級生には「中国から転校してきた」と語り、校内の廊下で友人とアニメの話題で談笑することも。
「人を見て、話しやすそうな人を選んで話し掛けていた」という。
 
転居を繰り返し、有希ちゃん事件の発生当時は同県鹿沼市に1人で住み、定職には就いていなかった。
今年1月、偽ブランド品事件で現行犯逮捕されたときは、鹿沼市の一軒家で生活。
近隣住民らによると、Tシャツやジーンズなどの普段着姿でいることが多く、毎日のように、未明に近くのコンビニ店で1人分の弁当を購入していたという。

(2014/06/03 時事.com)



栃木・旧今市の女児殺害事件 32歳男逮捕

9年前の平成17年に、栃木県の旧今市市、今の日光市で小学1年生だった女の子が下校途中に連れ去られて殺害された事件で、警察は別の事件で逮捕起訴された栃木県鹿沼市に住む32歳の男を殺人の疑いで逮捕しました。
調べに対し容疑を認めているということです。

逮捕されたのは栃木県鹿沼市の無職、勝又拓哉容疑者(32)です。
9年前の平成17年12月、栃木県の旧今市市、今の日光市で小学1年生だった吉田有希ちゃん(当時7歳)が下校途中に連れ去られ、翌日、およそ65キロ離れた茨城県常陸大宮市の山林で刃物で刺されて殺害されているのが見つかりました。
警察は有希ちゃんが、学校からの帰り道に友だちと別れて1人になった直後に車で連れ去られて殺害され、遺棄現場まで運ばれたとみて、捜査を進めていました。
勝又容疑者は、事件後の早い時期に近くに住んでいた不審者として捜査線上に浮かびましたが、有力な証拠が得られず、捜査は長期化していました。
ことし1月、偽のブランド品を販売目的で保管していたとして逮捕されたあと、有希ちゃんの事件について関与をほのめかしたということで、警察は裏付け捜査の結果、事件に関わるビデオの画像などが見つかり、容疑が強まったとして3日、殺人の疑いで逮捕しました。

「今、言えることはごめんなさい」
勝又容疑者は、調べに対し「私が有希ちゃんを殺害したことは間違いありません」と容疑を認め、「今、言えることはごめんなさいということです」と供述しているということです。
また、「有希ちゃんとは面識はなかった」と供述しているということです。
警察は当時の詳しい状況や動機について調べを進めています。

勝又容疑者 母親手伝い骨とう市に
勝又拓哉容疑者は現在、32歳。
平成4年頃に旧今市市、今の日光市の木和田島で暮らすようになりました。
このとき住んでいた場所は、有希ちゃんの家から2キロほどの場所だったということです。
そのあと勝又容疑者は、平成10年に宇都宮市の中学校を卒業。
母親を手伝って関東各地の骨とう市でアクセサリーや陶器などを売る仕事を始めます。
当時を知る人によりますと、親子は車で関東一円の骨とう市に出店し、有希ちゃんの遺体が見つかった茨城県にも、たびたび出向いていたということです。
また警察などによりますと、勝又容疑者は事件当時、現場付近で目撃された不審な車と同じタイプの白いセダンタイプの乗用車に乗っていたということです。
勝又容疑者の義理の父親だった男性は、NHKの取材に対して「勝又容疑者は、子どものころ、あまり学校にも行かず、家からほとんど出ない生活をしていた。こんなことになって残念だ」と話しています。

2005年
12月1日 - 女児が下校途中に行方不明。近くの駐在所に家族が捜索願。捜索開始。
12月2日 - 公開捜査開始。茨城県常陸大宮市の山林で遺体で発見される。両県警が合同捜査開始。
12月3日 - 女児が通っていた小学校で緊急の保護者会。児童は車での送り迎えへ。
12月6日 - 女児の告別式。
12月7日 - 両親が、初めて遺棄現場へ。今市市教育委員会が、公立小中学校への児童・生徒の携帯電話持ち込み解禁。
12月8日 - 女児の通っていた小学校で、集団登校が再開。国道293号や国道123号などで一斉検問。
12月10日 - 両県警が、情報提供を呼びかけるポスターとチラシ一万枚を作成。首都圏内はじめ、関東地方から東北地方にかけての広い範囲に配布。
12月11日 - 両県警が初めての合同捜査会議。
2006年
1月28日 - 沓掛哲男国家公安委員長が、連れ去り現場を視察。
8月1日 - 犯人逮捕に結びつく情報に対し、200万円の懸賞金がかけられる。
11月2日 - 週刊新潮が、「警察が8月頃に秋葉原に潜入捜査を行い、フィギュア愛好家のリストを作成しようとした」ことを報道。
2007年
3月9日 - 遺体の複数箇所から同じの男のDNA型が検出されたことが報道される。
9月20日 - 3月に報道されたDNAが栃木県警の元捜査幹部のものであったと報道される。
2014年
4月17日 - 栃木県警より栃木県鹿沼市内の30代男が事件への関与を認め、裏付け捜査中との発表。


義理の父親の話

「(勝又拓哉容疑者は)事件現場に土地勘があり、周辺で目撃されていた車を所有していたので、事件に関係しているような気がしていた。いつか逮捕されると思っていた」「昔から引きこもりのような生活をしていて、見た目は優しい感じだったが、注意をすると人が変わったように脅してくることもあった。物事の良し悪しが分からないまま育ち、ナイフなどの刃物も集めていた」

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