Q 蒟蒻畑はなぜ発売を中止しないの?
蒟蒻畑の死亡事故についてです。
友人は「不注意に食べるからだ」という意見でした。
私は「死ぬ危険があると分っているのになぜ売るのか」、疑問に感じます。
確かにお餅やそのほかにも原因はいろいろあると思いますが、なぜもっと小さくしたり、粘りを減らすなど根本的解決をしないのか
または発売中止にしないのか、私は納得できませんでした。
皆様はどう思われますか、また「こういう理由がある」等ご存じの方、教えていただければ幸いです。
A
私は、死亡した幼児の親は、親としての責任が欠如しており、親を殺人罪で処罰するべきだと思います。私の母や祖母もこの意見で一致しています。
親や保護者は子供の生命を預かっています。ですから、子供に与えるべき食物を管理し、子供の命を守る義務、責任があるます。それを怠り、子供が食べるべきでないものを食べさせたので、親に保護されなかった気の毒な子供が死亡したのです。
その親として果たすべき義務、責任を食品会社や行政に転嫁しているのは、恥知らず、モラルや倫理の欠如も甚だしく、他人事とはいえ、死んだ幼児のことを思うと、はらわたが煮え繰り返るような怒りをこの親に対して感じます。
逆に考えると、このような子供を殺してしまった責任を他人に転嫁できるような、無責任でモラルや倫理のない人間だからこそ、企業や行政に責任を転嫁するような恥知らずなことが出来るのだと思います。
また、非常に残念なことに、このような無責任な親に同調する人や消費者団体、マスコミが存在することです。親としての責任を守らない人間に同調する人の方が幅を利かす社会に危機を感じます。
人間は生物として、出生以来、どのような食物をどのようにして食べればいいか、生物としての経験による記憶が蓄積しています。例えばこんにゃくゼリーなら、弾力があり、ある程度の大きさがある、固形物であり飲み物ではないのだから、丸呑みには出来ないと口にする前に想像できます。だから、「かんで食べる」のです。「呑み込めば」どのような食物でも死んでいます。おかゆで死亡している事例もあります。
親は、子供が食べるものを管理する義務、責任がありますから、その記憶を元に、こんにゃくゼリーに限らず、子供に与えるものはどのようにして食べさせるべきか、適切に処置しなければなりません。その程度のことは、人間でなくても、野生の動物でさえも、子供に与える食べ物を、子供が食べやすいように柔らかくかんでから与えたりしています。
子供を殺してしまった親には、そのような親としての本能がなかったのかもしれません。
不思議なのは、こんにゃくゼリーの販売禁止に反対している人の意見に、パッケージに注意書きがあるはずだ、とか、PL法ウンヌンを言われる方がいます。もっとパッケージの注意書きを大きく分かりやすくするべきだと言われる人もいます。
そのようなことよりも、出生以来蓄積してきた記憶から、弾力がある食べ物はかまなければならないことが、パッケージに何もかかれていなくても、本能的に分からないのがおかしいです。
「こんにゃくぜりー」
名前からどのような食物だと分かりますか?
弾力がある
弾力があるから、少なくとも飲み物ではない、
丸呑みできる大きさでない。かんで食べる
幼児に食べさせられるか?餅と同様、子供はかまない危険がある
以上を総合すると、「幼児の食べ物ではなく、ある程度成長して、かんで食べることが分かってから与えるものだ。」
ここまで、子供を育てている親でなくても一瞬で本能的に判断がつくはずです。
おでんのこんにゃくを親はある程度の大きさのまま食べますが、子供に与えるときはどうしますか?小さく切り刻みますよ。
こんにゃくゼリーはお菓子ですが、お菓子売り場に売っているモノで、子供が食べるには早すぎるものを、そのまま子供に与えることはしませんよ。
パッケージを見て分からなくても、口に含めば本能的に分かるはずです。にもかかわらず、なぜわざわざパッケージに書かなければならないのでしょうか?そのような生物として生きるための本能が働かない人が幅を利かせているために、なぜパッケージに「子供や老人に与えるな」「呑み込むな、かんで食べなさい」と食べものに書かなければならないほうがおかしいです。なんでもかんでも企業の側に責任を押し付ける愚かな世の中がおかしいと思います。
質問者さんも甥っ子さんがいらっしゃるそうですね。かわいいと思いますし、いとおしいと思います。その甥っ子さんの命を親や周りの人、社会は全員で守る責任や義務があります。それは、自分たちの経験や知識や、生物としての本能をフルに使ってです。そればかりではなく、子供が人間として生きていけられるように知恵を授ける義務や責任が質問者さんにもあります。
しかし、次のことだけはやめてください。子供をあらゆる危険から隔離する。いわば、無菌室、密室で育てることはやめてください。子供が将来、本来危険でないことで事故に遭う危険が非常に高くなります。
最近、刃物や火を扱えない若者が増えています。親でもカッターナイフの正しい扱い方すら知らない人もいます。例えば、刃が出たまま、床の上に置かないとか、使ったらすぐに刃をしまえとか、刃を人に向けるなとか、人に渡すときは、刃をしまって、握る方を相手に差し出せとか。これで事故が起きたら悪いのは一体誰?メーカーの責任?使用者の責任?使用者が説明書きを読めば済むこと?また、本来使い方を知っていれば、全く安全なはずのものでも、自らの過失で危険な目に遭ったり、過失で他人を傷つけてしまったりする人が多くなっています。これは、親が、子供に使い方を教えていない、何が危険なのかを教えていないからです。また、このこんにゃくゼリーを禁止にしろという意見が象徴するように、危険なものは全部禁止にしろ、パッケージに注意書きを書け、など、責任の所在を、親ではなく企業に転嫁しているからです。
われわれ人間は、多くの生活体験から「生きるための知恵」を身につけなければならないのに、それから親や社会が遠ざけています。このように書くと、それなら、危険なモノを子供に与えろというのか、と二者択一的な極論を言う愚かな輩がいますが、私が言いたいのは、「子供にこんにゃくゼリーを与えろ」ではなく、「こんにゃくゼリーを安全に食べられるようになってから、与えなさい」です。つまり、成長段階に応じて子供に生きるための知恵を授けなさいということです。質問者さんも親御さんや周りの人からそのようにしてきて育てられたから、うまく生きられるようになったはずです。刃物や火の扱い方も、幼児期ではなく、ある程度大きくなってから学びましたよね。もしも、質問者さんが、失礼ですが、親や周りから、そう育てられなかったらどうなっていますか?ちょっとでも危険のあるものから全て遠ざけられて育てられていたら。適切に使えば安全なものでも、危険な目に遭ってしまうかもしれませんよ。
>または発売中止にしないのか、私は納得できませんでした。
質問者さんがそのような会社の社長だったら、どうでしょう?
質問者さんが、あるお菓子を作っている会社の社長だったとします。その製品のみを作っていたとします。子供が大好きなものだったとします。大人もそれが大好きだったとします。世間にはファンが多いです。子供でも簡単に手に入る販売形態だとします。しかし、常識のない親が幼児に非常識な与え方をして死亡事故がおきたとします。そのおかしな親が、「そんなものを作っている会社が悪い、製品の製造を止め、賠償金を支払え」と親があなたを訴えたとします。質問者さんは、そのような非常識な与え方をした、おかしな親の訴えにすんなり屈して、賠償金を支払い、その製品の製造を止め、従業員を全員解雇し、会社をたたみますか?
私が社長なら、そんな、おかしな親には屈しませんよ。逆に親としての責任を果たさなかったその親を殺人罪で刑事告発まではしませんが。
今、世間で起きていることや、質問者さんが考えていることは、どちらでしょうか?