「痴人の愛」
1924年3月~6月『大阪朝日新聞』連載
10月~1925年7月『女性』掲載
谷崎 潤一郎(1886年(明治19年)7月24日 - 1965年(昭和40年)7月30日
38歳の作品
痴人の愛 (中公文庫)クリエーター情報なし中央公論新社
ナオミのモデルは、当時谷崎の妻であった千代の妹・小林せい子
葉山 三千子(1902年3月26日 - 1996年6月23日)
群馬県前橋市出身。本名は和嶋 せい
何十年かぶりに「痴人の愛」を1週間ほどかけて読み終える
今回はkindle中央公論版
ほんまにkindleはお勧めです
たっぷり「痴人の愛」に1週間浸れまして幸せでした
実にエエ湯加減です
初めてこの書物に出逢ったのは、中学2年のオナニー覚えたての時で
もちろん文学に親しむつもりは毛頭もなく
ズリネタとして本屋の文庫本の棚からチョイスしたのである
オナニー覚えたての猿のやうなチューボーにはものすごく使えた
文学としてどーとか谷崎がどーとかカンケーない
ひたすらズリネタ
今読み返しと、どこをズリネタの要として使用したのか全く覚えておらず
童貞で恋愛もしたことのない14歳には
初めて接するその世界のイメージ全体にチンコビッキビキだったよーな気がする
何しろ具体的なエロ表現は一切無いからね ちんこまんこは勿論 乳首描写も乳房描写もなし
自分には肉体的なフェチは今も昔も無い方であるが このねちっこい描写が使えたよーな気もする
少女を育てお風呂に入れるロリコンネタからの恋愛小説
少女が大人の階段上る度にエロ度を増すのと反比例して本性を現してダラシなく奔放に
奔放を通り越して支配と翻弄と嘘と不貞の迷宮を探るサスペンス探偵小説に
破綻と別れと焦燥と渇望
小悪魔のチラリズムと飴と鞭と完全支配のマゾヒズム
ポップで斬新で逸脱した台詞と見事な起承転結とわかりやすさ
純真無垢な生理にそのまんま何の疑問も抱かず入ってきたんですな
洗脳であり宗教である
バイブルとはこーゆーことをゆー
そしてナオミさんの台詞はどこを切り取っても満点以上の解答であり
譲治さんの受け答えも そーするしかないねーとしか言えない
それをマゾヒズムとゆー言葉だけで済ますのも なんか片手落ちだとも思う
ツンデレとも違うか
とにかく正しいナオミさんに従うしかない
台詞回しは完璧 その言葉には従うしか無い
従事することの快感
裏切られ翻弄されることの快感
マゾヒズムと言葉だけで解決できないとは思う
谷崎潤一郎全集 - 第十一巻クリエーター情報なし中央公論新社
谷崎潤一郎全集・第十一巻にはこの「痴人の愛」と 最初の妻千代をめぐる三角関係が反映した「神と人との間」を収載されてある
これはぼちぼち購入しとかんとあかんよーに思う
ただナオミさんも若いからそれが許せるんであろーが
40歳50歳を過ぎると ちと厳しいんではなかろーか
その後のナオミさんは そのまんま歳を食うのか
バージョンを変えるのか
その辺りも知りたいもんでんな
モデルである和嶋 せいさんは94歳まで生きておられたよーだが
どーなっていったんでしょうか?
何度か引用されるメアリー・ピックフォードさんについても
調べてみる価値ありやもしれん
メアリー・ピックフォードの笑顔
グロリア・スワンソンの眸
ポーラ・ネグリの猛り
ビーブ・ダニエルズの乙に気取った
がナオミさんらしーし
痴人の愛 [DVD]クリエーター情報なし角川書店
映画版「痴人の愛」は高校生の頃テレビの深夜映画でコソコソ見てオナニーしてた
射精できたかどーかは覚えておらん
ただ 「違う」と感じた
ナオミさんも譲治さんも浜田も熊谷も違うと感じた
今思えば 名作映画だと思うし さすが増村保造だとは思う
でも高校生の頃はこのねちっこさやヌメヌメ感は苦手だったんです
谷崎潤一郎のヌメヌメ感と増村保造のヌメヌメ感は似て非なるものである
何か根本的に違う
多分 谷崎も増村もポップであるのだが そのポップさも違う
類似点は逸脱さにある
安田(大楠)道代さんも小沢昭一 さんもナイスキャスティングだと思うし
何しろ田村正和であるし倉石功だ
一番のピッタンコは倉石功で一番かけ離れてるのが田村正和です
文章だけで世界を自分の頭の中を構築すると どーしても違うくなって当然ではある
でもその映画を見たあ後は どーしてもナオミは安田さんだし譲治さんは小沢昭一のイメージが定着してしまい邪魔だ
ちょっと違うはずなんだ
言葉ではうまく表現できないが 違うはずです
その違いを探るべく 次回は映画版も再視聴しましょう
イイ映画には違いないが