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大山のぶ代の認知症と砂川啓介の尿管がん

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大山のぶ代 老老介護の今を夫・砂川啓介語る「先に逝けない」

「女房は僕の名前だけは覚えているんです。長年一緒にやってきた女性マネージャーのことすら『啓介さん』と呼ぶんですよ……。きっと、僕にいろんなことを伝えたいという思いがあるんでしょうね」

妻・大山のぶ代(83)の認知症の病状を涙ながらにこう話すのは、砂川啓介(80)。

昨年6月、砂川は本誌に、愛妻を老人ホームに入居させたことを明かした。大山が認知症を発症したのが、12年。以来、都内の自宅で砂川が“老々介護”していたが、昨年4月、砂川に尿管がんが発覚。このままでは「共倒れになる」と、断腸の思いで大山を施設に入居させたことを語ってくれた。あれから7カ月――。

彼の現在の体調はどうなのか。

「いまは抗がん剤治療中なんです。抗がん剤治療をやると貧血でフラフラになり、メシも食えないのがつらいですね。昨年4月から、14回も入退院を繰り返して断続的に治療をしています」

聞くだに壮絶な闘病生活だが、砂川には弱音を吐いていられない理由がある。

「僕は、生き続けなければいけませんからね。彼女のためにも。僕が先には逝けないですから」
 
妻の大山も認知症が進行している状況だという。

「夫婦の対面は30分が限度かな。彼女がホームに帰って、マネージャーが『今日は久しぶりにご主人に会えてよかったですね』と言っても、『えっ?』って言って、まったく覚えていないんですよ……」

寂しそうに微笑む砂川。2人は、今年で結婚53年目を迎える。その夫婦の歴史で、今年初めて砂川は1人きりの正月を過ごしたという。

「大晦日は、元気が出るように格闘技の中継を見たりしていました(笑)。いま住んでいる我が家で孤独に新年を迎えてみると、やっぱり1人では広すぎるんですよ……」

“孤独な元日”で砂川が改めて痛感したのは、分身のように連れ添ってきた大山の存在の大きさだった。

「夫婦という運命共同体のかけがえのない人と、一緒にいられないのは僕にとっても、きっと彼女にとってもいちばん残念です。死別したわけでもないのにね……」
 
しかし、いまの大山にとってホームの暮らしは快適なようだ。

「認知症の方は鬱っぽい人が多いようですが、彼女はとても元気よくおしゃべりしています。よく聞いてみると意味不明なんだけど(笑)。『ああ、そうね』なんてみんな楽しそうに会話してますね」

最後に、砂川は「まだ希望は捨てない」と力強く語ってくれた。

「認知症の新薬ができて記憶を取り戻し、2人で作り上げてきた“心のアルバム”を思い出してくれると信じています。そのためにも、僕ができるだけ長生きして、彼女との人生をまっとうしたいと思っています」


(女性自身  2017.2.4)

娘になった妻、のぶ代へ 大山のぶ代「認知症」介護日記クリエーター情報なし双葉社




夫・砂川啓介が語る”大山のぶ代”認知症介護3年「介護生活を公表したきっかけ」

あの「ドラえもん」が認知症になっていた──。5分前の出来事すら記憶から消える妻・大山のぶ代との生活。その「介護日記」をもとに出版した著書が大反響を呼んでいる。世間に公表することで肩の荷が下りたという夫・砂川啓介が、介護の苦労から心構えまでをほのぼのと語り尽くした。

「(症状は)進んでもおらず、治ってもいない。仕事はできないと思う。でも、仕事をしたほうがいいのかも。進行が止まるかもしれない。元に戻っているのかな、と感じることはある」

 10月26日の記者会見でこう語ったのは、俳優・砂川啓介(78)。「娘になった妻、のぶ代へ 大山のぶ代『認知症』介護日記」(双葉社)を出版し、妻の大山のぶ代(82)がアルツハイマー型認知症を患っていることを公表したことが大きな話題になっているのだ。

大山が認知症と診断されたのは12年秋。が、その4年前の08年には脳梗塞で入院し、記憶障害などの後遺症もあったことから、正確な認知症発症時期ははっきりしないという。

 その砂川はインタビュー取材に応じて、

「いちばん大事なことは1人で背負わないこと。(認知症になった事実を)しゃべらなきゃ誰も手助けしてくれないですから」

 と達観しつつも、

「(著書出版は)とても躊躇しました。出すには全てをさらけ出さなければならない。でも、書いて反感を買うんじゃないかとか、いろいろ悩みました」

 砂川は大山と年齢が1つ違いと言っていたが、実際には4つ上だったことも公表することになる。そうしたことも、二の足を踏む理由だったという。

 それだけではない。著書では、2人は寝室を別にするセックスレス生活を40年間続けていたことも明かしており、同時に砂川の浮気は大山公認だったという。そうなると、マスコミからは「仮面夫婦」と評される可能性もあるのだ。

「結婚後5、6年くらいたっても、子供ができなかった(死産は一度経験)。そして、もし今度妊娠すれば母体が危ないことがわかり、僕の夢だった子供を断念せざるをえなくなったんです。それ以来、(妊娠恐怖症になった)カミさんの体には触れていなかった。そんなこともあって、ふだんの生活は妻というよりも姉か、時には母親の感覚でいたことは事実なんです」(砂川)

 当初、「大山=ドラえもん」のイメージを崩さないためにも、介護生活をひた隠しにしていた砂川だが、公表を勧めたのは、親友の毒蝮三太夫(79)だった。自身が出演するラジオ番組に砂川を呼び、介護生活について語らせたのだ。公表することで肩の荷が下りたという砂川だが、介護生活は当初、イライラの連続だったという。著書にはこう記されている。

〈カミさんと一日中二人きりで家にいると、日によっては、どうしても苛立ちを押さえられないことがある。僕が懸命に説明しても、彼女と意思の疎通ができないことも多いからだ〉

(asagei plus 2015,11)

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