ここんとこテレビで最も気になるネタ
松尾和子
フランク永井
マヒナスターズ
の三連発
この三人に共通する一番のキーマンが吉田 正
そして吉田正は 昭和歌謡前半の名曲をほぼ抑えてる
そして今知った
吉田正は音痴やんか
ビックリぽん
いつでも夢を 吉田 正 & 吉永小百合
ものすげーBIG4
いつでも夢を 吉田 正 with 橋 幸夫 吉永小百合 フランク永井 松尾和子
吉永小百合/橋幸雄 いつでも夢を
吉永小百合/「寒い朝」 /マヒナスターズ
日立駅 発車メロディー 【3コーラス】 吉田正 「寒い朝」「いつでも夢を」
異国の丘
哀愁の街に霧が降る(山田真二)
有楽町で逢いましょう フランク永井
泣かないで - 和田弘とマヒナスターズ
グッド・ナイト 松尾和子
フランク永井 松尾和子 東京ナイトクラブ
誰よりも君を愛す 松尾和子&和田 弘とマヒナスターズ オリジナルメンバー 1991
松尾和子・再会・1985年
三田明=美しい十代=
恋のメキシカンロック 清水アキラ スクール水着 浮輪 橋幸夫本人登場
鶴田浩二 傷だらけの人生
橋幸夫 / 子連れ狼
吉田正 公式ウェブサイト
吉田 正(1921年1月20日 - 1998年6月10日)
茨城県日立市出身
日立工業専修学校卒業
1948年(昭和23年)9月、佐伯孝夫が補作詞し、『異国の丘』としてビクターレコードより発売。
1949年(昭和24年)4月、日本ビクターに専属作曲家として入社。
1960年(昭和35年)12月、『誰よりも君を愛す』で第2回日本レコード大賞を受賞。
1962年(昭和37年)12月、『いつでも夢を』で第4回日本レコード大賞を受賞。同賞では後にその功績をたたえ『吉田正賞』を制定した。
1982年(昭和57年)11月、紫綬褒章を受章。
1998年(平成10年)6月10日、肺炎のため死去。享年77。叙・従四位。作曲家としては3人目となる国民栄誉賞を受賞。日立市名誉市民として顕彰された。
2005年(平成17年)日立市内の常磐線の駅(大甕駅-十王駅)の発車メロディに吉田作曲のメロディーが採用される。
代表作
異国の丘(1948年/竹山逸郎・中村耕造)
好きだった(1956年/鶴田浩二、和田弘とマヒナスターズ) - 1959年にはマヒナがハワイアン風にカバー。
哀愁の街に霧が降る(1956年/山田真二)
有楽町で逢いましょう(1957年/フランク永井)
泣かないで(1958年/和田弘とマヒナスターズ) - マヒナのオリジナル曲第1弾である。
グッド・ナイト(1959年/松尾和子&和田弘とマヒナスターズ)- 松尾和子のデビュー曲。
東京ナイト・クラブ(1959年/松尾和子&フランク永井) - 松尾和子のデビュー曲。
誰よりも君を愛す(1959年/松尾和子&和田弘とマヒナスターズ) ○第2回日本レコード大賞
潮来笠(1960年/橋幸夫) - 橋幸夫のデビュー曲。○第2回日本レコード大賞(新人賞)
再会(1960年/松尾和子)
沓掛時次郎(1961年/橋幸夫)
寒い朝(1962年/吉永小百合)
いつでも夢を(1962年/橋幸夫&吉永小百合) ○第4回日本レコード大賞
美しい十代(1963年/三田明)
ごめんねチコちゃん(1964年/三田明)
チェッ・チェッ・チェッ -涙にさよならを-(1964年/橋幸夫) ○第7回日本レコード大賞(企画賞受賞曲)
キューポラのある街(1965年/吉永小百合)
おまえに(1966年/フランク永井)
恋人たち (1967年/吉永小百合&トニーズ)
娘たちはいま(1967年/吉永小百合)
恋のメキシカン・ロック(1967年/橋幸夫)
傷だらけの人生(1970年/鶴田浩二) ○第13回日本レコード大賞(大衆賞)
子連れ狼(1971年/橋幸夫) ○第14回日本レコード大賞(大衆賞)
未練の女(1971年/日吉ミミ)
門下生
鶴田浩二
フランク永井
松尾和子
三浦洸一
橋幸夫
吉永小百合
三田明
雪村いづみ
藤本二三代
和田弘とマヒナスターズ
久慈あさみ
古都清乃
久保浩
トニーズ
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