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「もう生きていけない」島田和夫の死

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君といつまでも 憂歌団 木村充揮
しまやん追悼ライブ
「憂歌団からの便り~島田和夫祭り~」



島田和夫さん死去 木村充揮…悲痛「言葉にできることではない」

1998年に活動休止した人気ブルースバンド・憂歌団のドラマー、島田和夫さんの訃報を受け、
憂歌団のボーカル・木村充揮の所属事務所は3日、
木村本人のコメントとして「言葉にできることではない」と公式サイトで発表した。
木村さん自身も大きなショックを受けており、現時点では取材を受けられる状況ではないという。

島田さんは1975年にアルバム『憂歌団』でデビュー。
1998年に活動停止後は神戸を拠点にライブ活動を行っており、
10月も神戸の老舗ライブハウス・チキンジョージなどで5本のライブが入っていた。
13日に同所でゲスト出演を予定していた「遊歌団Night!」は公演中止が決まった。

(2012年10月3日)


「憂歌団」ドラマー・島田和夫さん、自宅前で急死…58歳、事件性は無し

 1998年に活動休止した人気ブルースバンド「憂歌団」で活躍したドラマーの島田和夫さんが急死したことが2日、分かった。58歳だった。関係者によると1日深夜から2日未明にかけて、神戸市中央区の自宅前で倒れているのが発見された。県警は島田さんかどうかの確認を終えていないが、発見された遺体については事件性はないとみている。島田さんは先月27日にも神戸市内のライブハウスでドラムをたたいたばかりだった。

 「憂歌団」の元マネジャーによると、島田さんは1日深夜から2日未明にかけて、神戸市中央区の自宅前で倒れているのが発見された。通報を受けた兵庫県警生田署は当初、身元不明の変死体として扱ったが、島田さんの親族が生田署で遺体が島田さんであることを確認したという。

 県警は本紙の取材に、発見された遺体について「殺人など事件性はない。広報事案ではないので、発見日時や経緯などについてはお答えできない」とし、島田さんかどうかの最終的な確認はまだできていないとしている。

 島田さんは、大阪市立工芸高校の同級生だったボーカルの木村充揮(58)とギタリスト・内田勘太郎(58)が1971年頃に結成したバンド「憂歌団」に74年、ベースの花岡献治(59)とともに正式加入。75年にデビューし、ファーストアルバム「憂歌団」が好評を博した。「天使のだみ声」と言われた木村のボーカルにのせた楽曲で、98年12月に活動休止するまで不動のメンバーで活動した。

 島田さんは「憂歌団」休止後、2000年に「コブクロ」のレコーディングに参加、01年には「BEGIN」のライブにゲスト出演するなど、幅広く音楽活動を続けていた。最近は、02年結成のブルースバンド「FOUR ACES」での活動を中心に、さまざまなユニットに参加していたという。
9・27ライブ 先月27日、神戸市中央区のライブハウス「JAMES Blues Land」でのライブに出演したのが最後のライブパフォーマンスになったが、島田さんのウェブサイトによると、今月も神戸市中央区のライブハウス「チキンジョージ」など5本のライブのスケジュールが入っていた。

 元マネジャーによると、島田さんの妻はすでに死去しており、長野県在住の長女が3日、生田署に遺体の引き取りに行くという。

 ◆島田 和夫(しまだ・かずお)1954年3月19日、大阪府出身。木村充揮、内田勘太郎、花岡献治と「憂歌団」を結成し、75年にデビュー。アルバム17枚、シングル4枚を出し、98年に活動休止。その後もライブや楽曲プロデュースなどミュージシャンとして活動していた。血液型A。

[2012/10/3-06:05 スポーツ報知]


「食べていけるのはごく一握り」名ドラマーの悲報とベテラン音楽家の嘆き

1998年に解散したブルースバンド憂歌団のドラマー、島田和夫さんが
2012年10月2日未明に自宅前で死去したと報道された。
自宅で「もう生きていけない」とのメモが発見されたとして、
兵庫県警生田署は自殺の可能性を指摘している。

「憂歌団は関西ブルースシーンを代表するバンドで、島田さんも名ドラマーとして人気の高い方でした。
解散後も多くのプロジェクトやコンサートに呼ばれて演奏するなど、
同世代のバンドマンの中では群を抜いて活躍していた。
仮に自殺であったとしても、音楽活動の行き詰まりが原因とは考えにくい。
もしそうなら、中高年のバンドマンのほとんどは厳しい状態ということになる」(ライブハウス関係者)

島田さんの悲報は、同業者にも衝撃を与えている。
多くの中高年のミュージシャンが置かれている経済的な苦境が連想されたからだ。
有名バンドの元メンバーであっても、スタジオミュージシャンなどで“食べていける”のはごく一握り。
そう語るのは、あるベテランギタリストである。

「今の音楽界ではスタジオミュージシャンのギャラの水準が下がり続けていて、
一部の大御所を除けばアルバイト的な金額しか出ない。
人気バンドの全国ツアーに帯同すると多少まとまった金額が出るが、
その間は細かい仕事ができないから、次の仕事が来なくなるリスクもある。
いちばん安定しているのは音楽スクールの講師だが、
最近は大御所クラスまでやりたがっているから、なかなか席が空かない。音
楽では食っていけないと見切りをつけ、まったく違う仕事に転職した仲間も多いね」

実際、一時代を築いた人気バンドのメンバーが、意外な職業に転じたケースは少なくない。
建築業に転職した有名バンドRのベーシストや、バーテンダーとなった元カリスマシンガーSなどだ。

「アメリカでは、中高年向けのコンサート市場が充実しているため、
ベテランのバンドマンも演奏活動をして食べていくことができます。
日本でも、元アイドルグループなどはディナーショーや地方自治体主催のコンサートで稼ぐことができますが、
ロックやポップス系はイベント出演などがメインで、ライブハウスでやっても集客は弱い。
今後は中高年向けに配慮した、イス付きのライブ会場などの整備が求められるでしょう」
(前出のライブハウス関係者)

いまやロックやポップスを聴いて育った世代も、50~60代に差し掛かっている。
往年の名ミュージシャンを盛り立てるためにも、
中規模コンサート会場の充実や、チケット販売の多様化が望まれる。
(文=島未知也)





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