Quantcast
Channel: すそ洗い 
Viewing all articles
Browse latest Browse all 9247

木嶋佳苗「遺言手記」

$
0
0

遺言手記「余命を諦めた『木嶋佳苗』の東京拘置所から愛をこめて」より


 


 最高裁判決を前夜に控えた現在の心境をひとこと申し述べるなら、裁判所が真実を認める期待は皆無だから一毫の望みも持っていないということになります。

 今回、筆を執ることにしたのは、母親への思いをはっきりと記しておきたかったからです。


 4年前から私は、「拘置所日記」をブログで始め、その前年から後に小説としてまとめる自叙伝も書いていました。つまり、裁判員裁判の一審判決言い渡し直後から出版社との付き合いを始めたわけですが、母は、執筆をやめ出版社と縁を断たなければ一切の支援を打ち切る、弟妹や甥姪たちとの交流も禁じると宣告し、それは確かに実行されました。拘置所内での生活が外部の支援なしに立ち行かないのは後述する通りです。

 こういう「悪意の遺棄」、要するにほったらかしが虐待に当ることや、表現の自由に関する説明を弁護士から受けても聞く耳を持たず、支援者からの差入れ品を含む預託物は私の同意なく母が廃棄しました。その蛮行以来、私は彼女について考えることをやめていたのです。実際にサポートをしなくなった母によって否定されたも同然だった私の生命が判決で再び否定されると思う時、「ある決意」が頭をよぎるようになりました。ともあれ詳しくは最終章で触れることにします。

 2009年9月に詐欺罪で逮捕された私は2年半をさいたま拘置支所で過ごし、13年7月から“小菅ヒルズ”こと東京拘置所の2階で生活しています。長期勾留のため拘禁反応の症状が出ているという報道もありましたが、そのような事実はなく健康に暮らしております。

 それこそ数十に及ぶメディアから手記の依頼を受け、よりにもよってかねてより嫌いだと公言してきた週刊新潮にこれを寄せることにとうとう気が触れたかという突っ込みがあるでしょうし、私自身の躊躇いがあったことも否定しません。それはともかくどうせ書くのなら、この雑誌創刊以来のモットーたる「カネと女と事件」をテーマに綴るのがよろしいかということで、そのように進めます。むろん私の場合、女の部分は男になり、当局への呪詛の言葉が入ってくるわけですが。

 まずは、お金に相当する衣食住から。

 ヒルズにおける一日、つまり起居動作の時間帯は厳密に決まっています。

 起床は7時で就寝が21時。その間に「3時間の午睡」と仮就寝のための「4時間の横臥」が許されています。夜に10時間も睡眠をとらされるというのに、プラス7時間も眠れるはずがなく私は日中横になることはありません。不思議なことにほとんどの女子収容者が午睡と仮就寝時にスヤスヤ。

 朝食は7時20分、昼食は11時半、夕食は16時。毎食700ミリリットルの温かいお茶が配られ、各自で魔法瓶に入れ替えることもできる。飲食は点検と就寝時間以外いつでも自由に摂取可能。

 食器は、直径15センチで蓋が付いた磁器製の丼鉢に桜色のプラスチック製仕切り皿、そして大椀と小椀の4種あり、毎食その大椀に500ミリリットルの汁物がつく。給仕は、白いスモックを着た懲役受刑者の衛生係が台車を移動させながら居室前の廊下で素早く行い、湯気が立った状態で手渡す。2階のいわゆる「女区」にいるのは未決勾留者も受刑者も女子だけで、目下1名の死刑確定者も同じフロアに。

 東拘は刑事施設のなかでも食事内容の評判が高く、学校給食以上のメニューが提供されています。差入れや自己負担で540円のお弁当を注文することもできますが、自弁した場合には官給の食事が出ません。

 私は季節ごとに自分で献立を作成しています。官給の食事の他、差入れや購入で得た材料で料理らしきことをするのが楽しみのひとつで、わけてもサンドイッチのバリエーションは豊富。ヤマザキの食パン、明治屋のコンビーフ、由比缶詰所のツナ、味の素のマヨネーズ、雪印のバターにチーズ、ソントンのジャム、サクラ印の純粋はちみつ、果物などを揃えると、1斤のパンで作るサンドイッチは原価が2000円ほどに。コーヒー、紅茶、ココア、緑茶、牛乳、ジュースなどの飲料やお菓子も販売されていますし、ヒルズにいると物欲が小さくなるので、飲み物と手作りサンドイッチを口にできるだけで十分幸せです。

 性的なことを考えないわけではないけれど性欲で息苦しくなることはない。睡眠欲もたやすく満たされる状況にあり、食欲こそ人生最大の関心事と言ってはいささか大仰でしょうか。

 そう、細かなことですが、缶詰には1日2度の「開缶タイム」があり、1回につき2つ開けられる。つまり週に最大28個消費できるということになります。どの缶詰を開けようかなと選ぶ楽しさ、自弁や差入れで新しい商品が届く嬉しさ、土曜昼食にパンが出るまでの待ち遠しさ、休庁日午後に給湯がない切なさはそれぞれ深くて大きいのです。

 私の身長は156センチで、秋冬は「冷えとり健康法」実践のため絹と綿の靴下を交互に4枚重ね穿きしているうえに底の厚いサンダルを履いているので、実寸より背丈があると見られることが少なくありません
 横幅もそれなりだから大きく見えるかもしれませんが、体重はずっと60キロ台で推移しています。「身長体重を書け」――こんな指令が長身痩躯の男性記者からありました。さすが週刊新潮。これまで数えきれないほどの記者から数多の質問をされてきましたが、体重を尋ねられたことは初めてで仰天。「咳をしても一人」な空間で「太り」ということはなく、逮捕時は70キロ台でしたから、これでも少し痩せたのです。拘禁生活は活動量が少ないので確実に太ります、節制なしには。


 今の夫は、私の体型を殊の外愛しているため、ありのままに生きることができる幸福を噛み締めています。今の、ということは、前の夫もいるわけですが……。

 ヒルズでの面会は、平日のみ1日につき1度、同席できる外来者の人数は3名以内とし、1回15分。弁護人や官公庁宛以外の手紙の発信は平日のみ1日に1通という制限も。電報だけ発信通数制限がありません。

 私の生活スペースは、単独室と呼ばれる独居房。ひとつのフロアに66の部屋があります。房内は1帖分のフローリング・スペースに洋式トイレと洗面台があり、3枚の畳部分に布団や木製の文机、私物の棚に保管バッグ、衣類かご、裁判書類を置いています。埃と他人の視線からそれらを守るため、すべてをパステルカラーのタオルで覆っているのですが、部屋がすっきり明るくなり快適で一石二鳥。

 房内保管できる私物は総量が120リットル以内まで。差入れや購入量の制限は設けられていますから、人間らしい暮らしを望むなら、小まめに補充、処分、預託する必要があります。要するに、“社会”で生活する外部協力者の存在が不可欠で、その辺りも次章以降で綴るとして、変わったところで洗濯について。男子の場合は、所内の洗濯工場で下着の洗濯から乾燥までしているところ、女子には私物衣類の無料洗濯が行われていないのです。枕や布団カバー、シーツにタオルケット、毛布などの寝具類まで自己負担で清潔にしなくてはならないというわけです。
 浴室と運動場も同じ階に単独処遇者用のスペースが設けられています。東拘では、原則として「平日・毎日・居室外」において運動可能。爪切りは運動場でしか貸与されないため、週に1度だけ出て行きますが、爪切りを終えたらすぐに部屋へ戻ります。というのも、毎日午前と午後の2回、室内体操の機会があるし、1時間に1度はストレッチをしていて特に室外運動の必要性を感じないため。

 健康診断の結果はいつも良好で、肩凝りや腰痛も無縁。筋トレ本を読み、流行のトレーニングは一通り実践しています。「ベターッと開脚」に長友佑都の「ヨガ友」に、「筋膜リリース」、更に「タバタ式」がルーティン。つい先日、「1分で眠れる478呼吸法」を試したところあら不思議。20時からのラジオ寄席を待たず眠りに落ちたのです。

 ヒルズ内の、ひからびた生活に彩りを与えてくれることもあって、毎月新しい服や下着を購入しています。

 勾留中の女子にとって、警察署の留置場から拘置所に移って感動するのはブラジャーが着けられること。胸のボリュームが下や横に逃げてゆくのを防止するためのワイヤー等がなければどんな形状でも許可されます。昨今はレースが豪華なノンワイヤーも多く、ヒルズでも下着のお洒落が楽しめる。

 ブラを着ける理由というものはちゃんと存在していて、それは乳首の問題があるからで、ヒルズでは「胸ポチ」と呼ばれています。面会に行くときに廊下で、胸が透けていないか、乳首が特に目立っていないかどうか、つまり胸ポチのチェックを受けるのです。

 下着はガードルやボディスーツ類が、衣類だと35センチ以上の紐付き、フード付き、香水等匂いの付いたものは差入れNG。

 実を言うと、私の装いに対する感度が高くなったのは結婚後のこと。最初の夫が着道楽で、「女の子なんやから」と言って、妻の私にもラルフローレンとかアンタイトルなどからトレンドの服を選んでくれました。大阪出身の男なのでお値段を伝えることも忘れませんが、彼からファッションの力というものを初めて教わりました。

 座布団と下着は季節ごと、寝具は毎年の買い替え。睡眠中以外ほとんどの時間を座布団の上で過ごす私にとって、差入れの大きく分厚い座布団が欠かせません。1枚4000円ほどのお値段ですが、官給品や自費購入の薄っぺらでスポンジみたいな粗悪品とは対照的。とりわけ冬のあいだは、霜焼けやあかぎれの症状を訴える者が続出するレベルの厳寒が襲います。

 室内で凍傷になるのですから手袋は不可欠。75円で軍手が売られておりますが、これは用をなしません。私は美容のために絹の手袋を、防寒のために手首まで覆うカシミヤの手袋を愛用しています。どちらも指にフィットし、ペンを持ったときに滑らない商品です。

 税金で養われる獄中者はお金がかからず生活できていいねという指摘があることは承知しています。とはいえ、領置金と呼ばれる自己資金がなければ健康で文化的な最低限度の生活は絶対できない。食料品の自弁購入限度額・週6000円に加えて日用品、郵券類、送料などに月数万円。それ以外にタイムセールなどない差入屋の商品代を考えると、生活費は結構な金額になるのです。更に目眩がするような弁護士費用 ***




「男と事件」についても母のことと無関係ではありません。弁護人以外の面会や書類の受け渡しを禁じる接見禁止が解けて半年が経過した12年冬、防寒用の下着がなかったので現金書留で代金を添えて頼んだところ、彼女からは「買って送ることはできない」と。その時は仕方なく家族でも恋人でもない男性に頼んだわけですが、ちょうどその後から初婚相手の男性との交流が始まりました。私は社会ではもっぱら愛人稼業で結婚の経験などありません。

 バツイチでふた回り上の彼とは拘置所内外の恋がそうであるように、文通と面会を重ね、15年3月に40歳で結婚。詳細はブログを辿ってもらうとして、この彼が「前の夫」となるのは翌年秋。春から協議をし、9月に離婚が成立しました。

 なんとも目まぐるしい動きに説明をつけるのは難しいのですが、きっかけは夫から「交通事故で怪我をして入院中だ」と連絡を受けたこと。弁護士と友人が見舞いに行き確認したところ、重傷で退院の目処が立たない、飲酒運転だったため夫の過失割合が大きくて賠償額も高く、示談交渉に時間を要する案件であると知らされたのです。まさに“事件”でした。

 夫は、私を巻き込み迷惑をかけることが更にあっては申し訳ない、籍を抜いた方が良いのではないか、と提案してきた。言うまでもなく、私の支援の中核を担ってきたのは彼なのです。

 逡巡しつつも、面会や差入れのスケジュールが狂って生活に差し障りが出るなかで離婚協議を始め、一方で再婚相手を探すことにしました。一度結婚したことで、色恋抜きの人生は考えられなくなった。幸い、異性として私に好意を持ってくださる男性は何人かおりましたので、一番尽くしてくれる人を“精選”したということになります。

「一般企業に勤める年上の会社員」という条件は、婚活サイトを利用していた時から変わりません。そのなかで、元夫とのこともあり、次の夫は初婚で子どものいない若めの人にしようという考えは頭にありました。

「俺はどんなに過酷でもずっと守っていくので結婚してください」と告げられて再婚した夫は逮捕前からの知り合いで、悩みを相談するうちに段々と愛が芽生えていく。もっとも、愛と結婚と幸せは必ずしも一直線に繋がっているものではない、私はそんな風にも思う。

 結婚とは扶養義務と責任が生じる法的な契約であると、離婚協議で学びました。愛情とは無関係に入籍した瞬間から婚姻費用が生じます。入籍後に契約を破れば慰謝料を支払って財産分与するものだと理解してもらうため、再婚相手には婚姻に係る民法の条文と判例を読ませてから、婚姻届と離婚届に署名押印してもらいました。離婚届は誓約書代わりです。私のような立場でも、いや、だからこそ、配偶者がいるということは人生を豊かで楽しいものにします。夏目漱石の『門』に登場する宗助と御米のように、夫婦の抱える闇と幸せが獄中結婚にも存在する。それでも伴侶と接していると理屈抜きで救われる瞬間があり、夫婦には不条理な問題を克服できる力があると気付かされたのです。

 夫婦関係に関する新聞記事で気になったのが『夫のちんぽが入らない』の著者インタビュー。ローションを使えば少し入るけど裂けて流血すると。身体の繋がりがなく、子供がいなくても夫婦として寄り添って生きて行くのは私も同じですが、社会にいてセックスなしの夫婦って想像がつかない。世間にはペニスは大きいほど良いという幻想がありすぎですが実際はどうでしょう。私が20代の頃、「週プレ」で読んだ中場利一のエッセイに巨根の人物が登場していました。「戦闘前の状態で28センチ」で「先が下につくどころか、床に横たわって湯の流れを止めてる」長さ。今は『一生、遊んで暮らしたい』という文庫にまとめられていますね。

 さて、9月に離婚した私は9月に再婚できると思っていました。頃しも昨年6月に民法第733条が改正され、女の再婚禁止期間が半年から100日になったばかり。私は刑事施設に拘禁されているのだから懐胎するわけがなく、したがって待婚期間が経過する前に婚姻届が受理されると考えても不思議はないでしょう。

 ところが、役所も法務局も、拘置所長が発行する在所証明書に「再婚禁止期間100日」の適用を除外できるだけの証明力はない、という見解を出したのです。そして「民法第733条第2項に該当する旨の証明書」の添付を求められました。

 この証明書は全て医師が記載するもので、私の場合、診察日において尿妊娠反応が陰性であるから離婚成立日以降に懐胎していない、との判断を書いてもらえば良い。そこで、拘置所の医務に尿検査と証明書の作成を願い出ました。すると1週間後に「婚姻届を提出するための検査は矯正医療の範囲外である」と告知されたのです。ならばと、東京矯正管区長に審査の申請をしても結論は同じ。結局、この裁決書が届いたのは再婚禁止期間終了が目睫の間に迫った師走のことです。

 ちょうど「100日カウントダウン」の間に刑事施設での強姦事件や出産のケースを調べたら、実際に幾つも事例があり、驚いたものです。なるほどと理解し、離婚から4回目の生理がきた100日目に婚姻届を提出し、受理されました。


 春に重傷を負って病床に臥せっていたものの、晩秋には快復。面会室においてそれこそ激越な口調で、「また結婚しよう」と言い出したときは心が痛みました。再婚の予定があることは伝えておらず、それは今もなお……。週刊新潮の大ファンである元夫は、この記事で事実を初めて知ることになる。

 元夫のことを当時も、そして今でも愛しているけれど婚約者を裏切ることはできない。再思三考の末に元夫には養子縁組を提案。婚姻届の翌日にその届を提出して受理され、晴れて私の養父となりました。

 図らずも、獄中で結婚、離婚、再婚を経験することになった恰好ですが、その後、最高裁で弁論公判が開かれた今年2月、若い頃から慕い尊敬している女性との養子縁組も受理されました。これらは偏(ひとえ)に、上告棄却され、死刑確定者の地位になったときの処遇に備えた自衛手段です。

 刑事収容施設法により、死刑確定者が文通や面会、物品の授受などの外部交通を権利として保障されるのは、親族、弁護士、教誨師のほかは重要用務の処理のためだけ。それ以外は、「必要とする事情があり、かつ、拘置所の規律及び秩序を害するおそれがないと認められる相手」に対し、「最大5人まで外部交通許可権を与える」とあり、所長の判断に基づくと言うけれど、明確な基準などない。

 法務省は、死刑確定者の拘禁の本質について「外部交通の遮断を含む社会からの隔離」にあり、刑罰に伴う制裁として「外部交通を含めた行動の自由を剥奪し、厳しく制限することも許される」と考えています。無実を訴えている私は非人道的な処遇に対抗すべく、婚姻と養子縁組によって確実に交流できる親族を増やしたというわけです。
 一審判決からの5年間、私を支えてくれたのは血縁以外の人達で、みな獄中者のサポート経験がない人ばかり。それでもいわば鵺(ぬえ)のような死刑制度と向き合い、葛藤や苦悩をしながら安らぎを与えてくれました。

 現在、130人程の死刑確定者のうち約7割が再審請求をしている。その多くは、再審請求中は執行を回避できると信じて形だけの請求を続けている人だと断じてもよいでしょう。

私は無実でありながら死刑囚と呼ばれることに早晩なり(※4月14日に上告棄却)、それは不運だけれど、幾つもの「もしも」が幸いしない限り素晴らしい支援者に恵まれることなどなかったのも事実で、これは本当に幸せでした。しかしながら、そういう方々に背を向け続け、私の死を誰よりも強く望んでいる母を思うと、今生の別れを再審請求により引き延ばすべきではないと考えるのです。

 私の父は妻である母に心を蝕まれた結果、還暦で自死を選びました。私が30歳のときです。4人の子ども達に残された遺言状を見るまで父の懊悩や2人の不仲など知る由もなかったし、限界まで追い詰められていたことに気付けなかった4人は遺骸の前で慟哭するほかなかった。母は父の親族から葬儀の喪主になることを許されなかったほどです。

 そう言えば事件後、父の遺書を家宅捜索で押収した刑事は、取調室で何度もこれを読み上げ私の両親を侮辱しました。苛酷な取調べや母に対する想いは弟妹に伝えてあります。

 生みの母が私の生命を否定している以上、確定後に私は法相に対し、早期執行の請願をします。これこそ「ある決意」に他なりません。通常、全面否認事件での女子の執行は優先順位が極めて低いものですが、本人からの請願は何よりも強い“キラーカード”になる。

 まったくもって自殺願望ではなく、生きてゆく自信がない、それだけです。

 最後に、先ほど書いた信書の発受と面会を希望する人について。確定者になると、この人物についてあらかじめ「外部交通許可申請書」により届け出ることになっています。胸臆を開き、安心して付き合える人はそう多くいないもの。私は裁量枠での許可申請をする相手は一人と決めました。この「もう一つの決意」を拘置所が理解し、申請を諒として頂くためにも手記執筆の依頼を受けたのです。私がいつ霊界にゆくのか冥々としたものですが、この世にいる限り文筆による表現活動は続けていたい。決意の詳細を綴る機会を切に願い筆を擱(お)くことにします。


週刊新潮 2017年4月27日号 2017/4/20発売



Viewing all articles
Browse latest Browse all 9247

Trending Articles