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法務省は3日、2人の死刑を同日午前に執行したと発表した。
執行は小川敏夫前法相在任中の3月29日以来、約4カ月ぶりで、滝実法相就任後初めて。
野田内閣では計5人で、確定死刑囚は130人となった。
法務省によると、執行されたのは静岡県三島市で02年1月、女子短大生=当時(19)=に火を付け殺害するなどした服部純也死刑囚(40)=東京拘置所=と、
京都府長岡京市と相模原市で07年1月、親族2人を相次いで殺害するなどした松村恭造死刑囚(31)=大阪拘置所。
いずれも再審請求していない。
服部死刑囚の事件は被害者1人で、金銭目的でなく殺人の前科もないケースでは異例の死刑確定だった。
松村死刑囚は08年3月、京都地裁で死刑判決を言い渡され、自ら控訴を取り下げた。
服部純也死刑囚は2002年1月22日午後11時5分ごろ、静岡県三島市の国道136号沿いで、アルバイト先から自転車で帰宅途中の女子短大生(当時19)を見かけ、
誘いの声をかけたが、断られたため自分のワゴン車に押し込み強姦。
同23日午前2時半ごろまでの間、三島市などを車で連れ回して逮捕・監禁したうえ、同市川原ケ谷の市道で、 短大生に灯油をかけてライターで火をつけ、焼死させた。
服部被告と短大生に面識はなかった。
遺体が見つかった2日後の1月25日、同県函南町で無免許運転で乗用車をUターンさせた際、対向車と衝突し、2人にけがを負わせた上、逃亡。
2月28日に逮捕され、 業務上過失傷害などで懲役1年6月の実刑判決を受けており、本事件の逮捕・監禁容疑で逮捕された7月23日には、収監中だった
松村恭造死刑囚は2007年1月16日京都府長岡京市に住む伯母の岩井ヨリ子さんを、後頭部を鈍器で強打、顔や首をナイフでメッタ刺しにして殺害。
現金2万円やクレジットカードの財布を奪って逃走。その後上京ししばらく千葉県内に潜伏した後、22日には神奈川県相模原市の大叔父にあたる加藤順一さんを鉄製のバールで頭や顔面を殴って死に至らしめた。
22日5時ごろ、かつて通学していた練馬区江古田の日本大学芸術学部正門側の路上で逮捕された。
2007年の9月に京都地裁で行われた初公判で彼自身が読み上げた意見陳述書
「人殺しという人生初体験の大事を、しかも2件も、極めて冷静に完遂しえたことについて自分で自分自身を誉めてあげたいと思います。被害者2人の冥福を祈るつもりはまったくありません。」
記事によれば、松村の26年の人生。初期の段階から挫折続きであった。
幼い頃から内向的で周囲に溶け込めない。中学では演劇活動に熱中するが、高校に入ってすぐ、好きな女の子に手紙を書いたことで教師とトラブルとなり、高校を中退。
「東京で活躍する芸術家」に憧れて、大検をパスして日大演劇科に進むが「精神的に疲れてしまい」1年もたたずに休学。
実家に戻って酒とタバコに溺れ、アルバイトをしても悉く長続きしない。和合できない世間への恨みは無限大まで膨張し、
子供の頃から反感を抱いていた伯母の岩井ヨリ子さんに恨みの矛先が向けられて、殺人に至る。
無職の松村恭造被告は2006年10月、実家で伯母ら親類への不満を話して父に勘当され、別居していた母方へ移ったが、11月に出た。滋賀県内の養豚場で住み込みで働き始めたが、
豚を殴って12月に解雇され、住居や収入がなくなった。2007年1月から同県内の電気機器工場に入寮したが、働く意欲をなくして寮を出た。
2007年1月16日夕方、京都府長岡京市に住む私立校教頭の伯父宅を訪れ、伯母(当時57)に金を無心したが断られたため、鋭利な刃物で伯母の頭部や首を刺すなどして殺害。
現金2万円やクレジットカードなどを奪った。
奪った金を使い果たしたため、1月22日夜、神奈川県相模原市に住む大叔父(当時72)宅を訪れ宿泊。23日午前1時頃、金属棒などで大おじの頭部などを殴って殺害し、現金1万円や
携帯電話などを奪った。松村被告は大叔父殺害後、奪った携帯電話で母親に「伯母さんをやったのは僕。金を借りに行ったら断られた。今朝も2人目をやった」と明かしていた。
松村被告は1月23日夕、東京都練馬区内を歩いているところを逮捕された。
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