「悲しくてやりきれない」
ザ・フォーク・クルセダーズ 2枚目のシングル
1968年3月21日 東芝音楽工業 (キャピトル・レーベル) 発売
作詞:サトウハチロー、作曲:加藤和彦
フォーククルセダース 「悲しくてやりきれない」
加藤和彦インタビュー(2004.4.22『ロック画報』)
「帰って来たヨッパライ」がすごい売れて、次は何にしましょうかといった時に、当然、「イムジン河」でしょうって話になって、
これは『ハレンチ』に入っているやつはライヴだったから、もう一回録り直してそれを出すことにしたら例の中止事件が
発売前日です
アマチュアが歌ってる分には、耳につかないっていうかね。それがフォークルがこれだけ有名になってくると、両方からのクレームがね。
総連(在日本朝鮮人総聯合会)からのと、正式なクレームは総連からだけど、本当かどうか分からないんですが東芝の電気の方に。
韓国が、あんなもの出すと東芝製品をボイコットするぞ、みたいなね。禁止じゃない、発売中止、自粛ですよね、つまり、ビビって出さなかったという。
総連も作詞作曲者、正式国名を明記しろと、それで怖がった。その頃は日本が北の正式国名を認めてなかったですからね。
憤りっていうのは全然なかった、あ、そうって
出さないんだからしょうがない。もとからそういう歌だから。
その頃原盤権等をやってたのが朝妻一郎さん。石田達郎さんという会長がいて、
急に会議だとか呼ばれて「イムジン河」は出さないから曲作りなさい。今日。って言われて。
作れと言われても楽器とかないしって言ったら、ギターを持って来さしてあるって言うんですよ。
僕の部屋使っていいから、って会長室に入れられて、3時間あげるからって鍵閉められて。
といってもひらめかないから「イムジン河」のメロディを拾って譜面に書いてて、これ音符逆からたどったらどうなるかなって遊んでたの。
そこからインスパイアされてできた。実際には「イムジン河」の逆のメロディでもなんでもないんだけど。
で、一応曲ができて、3時間たったら本当にドアが開いて、できたかっていうから、できましたって。
石田さんは曲も聴かないで、いきなりサトウハチローさんのところに連れていかれて、そこでも、曲聴いていないんですよ。
何もその話はしなくて、どうも、とか言って帰ってきた。
なんだろうな、これって思っていたら、それから一週間ぐらいしたら「詞が来たよ加藤君」と言われて、見たら「悲しくってやりきれない」ってタイトルが書いてある。
詞も不思議だしね、しかし、歌ってみるとやっぱりすごいんですよ、はまってるんです。
最初に詞があったかのように。何の打ち合わせもしないのに。一字一句直さなくて、全部はまってるの。すごいですよやっぱり。
加藤 和彦 (1947年3月21日 - 2009年10月16日)
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