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加古川7人殺害/藤城康孝被告の控訴棄却

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兵庫県加古川市で2004年、2家族7人が殺害された事件で、殺人罪などに問われ、1審・神戸地裁で死刑判決を受けた無職藤城康孝被告(56)の控訴審判決が26日、大阪高裁であり、米山正明裁判長は1審判決を支持し、被告側の控訴を棄却した。

1審判決によると、藤城被告は近所の人から見下されていると憤慨し、04年8月2日未明、隣に住むおばの藤城とし子さん(当時80歳)ら3人を包丁などで殺害。さらに、近所の藤城利彦さん(同64歳)宅で一家4人を殺害、自宅に放火し、全焼させるなどした。

控訴審で弁護側は1審同様、「藤城被告の責任能力は限定的だった」と主張。高裁が職権で行った精神鑑定では、鑑定医は「妄想性障害のため判断能力に著しい障害があった」との見解を示したが、検察側は「認定には誤りがある」と反論していた。

(2013年4月26日 読売新聞)


加古川7人殺人事件

兵庫県加古川市に住む無職藤城康孝被告は2004年8月2日午前3時半頃、自宅東隣に住むおば(当時80)宅を襲い、おばと次男(当時46)を牛刀で刺し、次男を殺害した。
続いて自宅西隣にある親類の男性宅を襲撃。男性(当時64)、妻(当時64)、長男(当時27)、長女(当時26)を牛刀で殺害した。
その後、もっとも恨んでいたおばにとどめを刺すためにおば宅へ戻り、まだ息があったおばにとどめを刺した。
そこへおば宅の隣に住む長男(当時55)と妻(当時50)が駆けつけてきたため、牛刀で刺して長男を殺害、妻に重傷を負わせた。
 
その後、藤城被告は自宅に戻り、用意していたガソリンをまいて放火し、自宅は全焼した。
一緒に住んでいた母(当時73)は就寝中だったが、事件中に目を覚まして近くの交番に保護を求めたため、怪我はなかった。
藤城被告は事件後、自家用車で逃走。同市内の弟宅に立ち寄り、犯行を打ち明けた後、ガソリンで焼身自殺しようとして止められた。
そして現場から南に約1km離れた国道バイパスの交差点で停止中、後から来たパトカーに気づいて車を急発進させ、高架の橋脚に衝突して炎上。両腕に重度のやけどを負って神戸市内の病院に入院していた。救出された際、警察官に犯行を示唆したため、県警は殺人容疑で逮捕状を取り、事情を聴いていた。 回復後の8月31日に逮捕された。

藤城被告は3年前から近所の人を包丁で追い回すトラブルを再三起こしていた。粗暴であったことから周囲より邪魔者のように扱われたため、20年以上も恨みを抱いていた。

加古川・7人殺害事件


『私がとし子ら8人を殺傷した事について、後悔しておりません。
とし子らは私達を長年、邪魔者扱いしてきた。忘れられない。
特に、とし子は、今こうやって話してる間すら、恨み、憎しみが蘇ってきて腹立たしい気持ちになります。
勝則の妻である以上、大けがをさせたことについて後悔する必要はない。
利彦や伸一は、私に対して挑戦的な態度を取っていた。緑は私をバカにしていた。
昔車で道を譲った時、当然のような顔をしていて気に入らなかった。親や兄貴と一蓮托生だ』
 






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