1994年の暮れから1995年の6月まで、
祈祷師の江藤幸子宅にて「キツネが憑いている」などとお告げを受けた信者7人を、
江藤の長女・大友裕子(23)、元自衛官・根本裕(21)、同県鏡石町の土木作業員・関根満雄(45)が中心となって、
『悪魔払い』や『御用』と称して殴る蹴るなどの暴行を加え、4名を殺害、2名を傷害致死、1名に重傷を負わせる。
同年7月5日、重傷を負った女性信者E(当時37歳)の入院をきっかけに、
警察が江藤宅を家宅捜査したところ、信者6名の腐乱遺体を発見。
4人を逮捕。後に被害者であるEも、暴行に加わっていたことが発覚して逮捕された。
死亡者
・関根容疑者の妻・関根君子さん(56)
・市内の無職・三木護さん(56)
・その妻・三木和子さん(48)
・その長女・三木里恵さん(19)
・市内の無職・亥飼立雄さん(43)
・元店員・先崎明美さん(27)
裁判
1997年3月、仙台高裁にてEに懲役3年・執行猶予5年の判決(上告せず確定)。
2001年11月16日、福島地裁の論告求刑にて、検察は江藤に死刑を、大友と関根に無期懲役、根本に懲役20年をそれぞれ求刑。
2002年5月10日、福島地裁の第一審にて、江藤は死刑、大友と根元に無期懲役、関根に懲役18年判決。
関根に下された判決が、他の者より刑期が短いのは、妻を殺されたことで正常な判断ができなくなったと認定されたためである。
2003年11月11日、仙台高裁の控訴審にて、大友と根元に無期懲役、関根に懲役18年(いずれも上告せず確定)。
2005年11月12日、仙台高裁の控訴審にて、江藤に死刑判決(即日上告)。
2008年9月16日、最高裁が江藤の上告を棄却し、死刑確定。戦後日本では10人目の女性死刑囚である。
2012年9月27日、仙台拘置支所において、江藤幸子の死刑が執行された。享年65。
女性死刑囚の執行は、1997年の夕張保険金殺人事件の死刑囚以来15年ぶりで、1950年以降では4人目である
(Wiki)
福島・須賀川市に住む男性が
「6月頃から息子が行方不明になっている」と須賀川署に捜索願を出したのが事件の発端。
署員が息子(43歳)の妻・A子(37)から事情を聞いていたところ、2人とも5月上旬から6月中旬にかけて、
市内の祈祷師・江藤幸子(47)方に身を置いていたことがわかった。
妻は江藤宅で数人から暴行を受けて入院しており、
7月5日、署員らは同市小作田の江藤方を傷害容疑で家宅捜索した。
すると1階八畳間で、男性2人、女性4人の計6つの腐乱遺体を発見。布団の中で寝ている状態で、一部はミイラ化していたという。江藤と、信者と見られる江藤の長女・大友裕子(23)、元自衛官・根本裕(21)、同県鏡石町の土木作業員・関根満雄(45)が緊急逮捕された。遺体を放置していたことについて、「魂は死んでいないので、そのまま寝かせていた」と供述。信者らは遺体の悪臭が消えたら蘇生すると信じて疑わなかった。
7月6日、遺体となって発見されたうち5人の身元が判明する。それぞれ死後数ヶ月たっており、何かで叩かれたような後があった。
①関根容疑者の妻・関根君子さん(56)
②市内の無職・三木護さん(56)
③その妻・三木和子さん(48)
④長女・三木里恵さん(19)
⑤市内の無職・亥飼立雄さん(43)
さらに同10日、6体目の遺体が同県滝根町の元店員・先崎明美さん(27)のものと判明。先崎さんは5月の連休中から行方がわからなくなっていた。
江藤は地元の高校を卒業後、同級生と結婚。一男三女をもうけている。事件の6年ほど前に、近くの市営住宅から、阿武隈川沿いの振興住宅地に引っ越してきており、当初は化粧品のセールスの仕事をしていた。
江藤の夫はペンキ職人だったが、腰を痛めて仕事をやめてからは、ギャンブルに狂い、借金から新築したばかりの家を手離す寸前までいく。こうしたことから夫婦そろってある岐阜に本部を置く宗教団体入信。夫婦は「おがみやさん」という宗教活動を始めるが、勝手に宗教団体の本部の名前を使ったことから2年で破門となった。
1992(平成4)年ごろ、夫が失踪すると、江藤は教祖的才能を見せ始め、徐々に信者を獲得するようになった。江藤宅は土日を中心に若い人が多く集まり、近くの空地には車が停められるようになった。ナンバーは「練馬」など、遠方からやってくる人も多かった。
近所には昼夜問わず、太鼓を叩く音や、お祈りする声が聞こえてきたという。近くに住むある女性が、江藤に診てもらったところ、「だんだん足が動かなくなります。手も動かなくなります」と催眠のようなものをかけられた。江藤はこの行為について、「汚れた肉体を殺し、魂を浄化するためのもの」と説明し、女性は気味が悪くなったという。
1994(平成6)年末、江藤は信者2家族10人ほどと同居を始める。この頃から、「悪魔祓い」「御用」と呼ばれる暴力がエスカレートし始めた。
江藤は集団生活のなかで、信者である大友裕と愛人関係となり、「裕様」と呼ばせていたが、同居する関根君子さんが根本に色目を使ったと思いこみ、その嫉妬から江藤は「悪いキツネが憑いている」と、関根さんの全身を太鼓ばち叩いた。さらに自身の長女である裕子や、君子さんの夫・満雄にまで殴るように指示し、死亡させた。
その後も、三木さん一家、亥飼さん夫婦を無数の打撲などで死に至る挫滅症候群で死亡させた。殺害されたのは江藤のやり方に疑いを持った者や、借金の申し出を断った者だったという。
暴行を受け重傷を負い、事件発覚のきっかけとなったX子も、こうした儀式に参加した1人だった。
1995(平成7)年8月16日、福島地検は「殺意を認定するだけの具体性のある証拠が得られなかった」と殺人罪ではなく、傷害致死罪で福島地裁に起訴。
同9月18日、殺人罪で追起訴。
1997(平成9)年3月、仙台高裁、X子に懲役3年、執行猶予5年の判決。
精神鑑定のため3年間の公判中止を経て、2002(平成14)年5月10日、福島地裁・原啓裁判長は「自己中心的に信者を次々殴り殺したのは、宗教的行為とは言えない。責任はあまりに大きく極刑で臨むしかない」と江藤に死刑を言い渡す。また根本と大友に無期懲役、関根に懲役18年を言い渡した。江藤は即日控訴した。
2005(平成17)年11月22日、仙台高裁・田中亮一裁判長は「社会に与えた不安と衝撃は軽視できない」と控訴を棄却。
2008(平成20)年9月16日、最高裁は江藤の上告を棄却、死刑が確定した。