蓮實 重彥(1936年(昭和11年)4月29日 - )
2016年 - 22年ぶりに発表した小説『伯爵夫人』(『新潮』4月号)で第29回三島由紀夫賞を受賞
■受賞会見の質疑応答
――最初に伺いますが、三島賞受賞の知らせを受けてのご心境をお願いします。
「ご心境」という言葉は、私の中には存在しておりません。ですからお答えしません。
――本日、蓮實さんは、どちらでお待ちになっていて、連絡を受けたときはどのような感想を持ちましたでしょうか。
それも、個人的なことなので申しあげません。
――わかりました。それと、今回、三島賞の候補になったとき、当然のことながら事務局から連絡があり、了解されたと思います。正直、蓮實さんが、前途を開く新鋭の新人賞に候補になったのはびっくりした。もしかしたらお断りになるのではないかと思っていたので。蓮實さんはどのような思いでお受けになったのでしょうか。
それもお答えいたしません。
――じゃあもう一つ、別の質問を。今回、選考委員を代表して町田康さんが代表して講評を伝えられました。町田さんによると、「さまざまな議論があった中で、これまで退廃的な世界も描かれてきた蓮實さんですが、今回の作品は言葉で織り上げる世界が充実していて、小説としての出来は群を抜く」という、そのような…。
あの、質問なら簡単におっしゃってください。
――「さまざまな議論があった中で、これまで退廃的な世界も描かれてきた蓮實さんですが、今回の作品は言葉で織り上げる世界が充実していて、小説としての出来は群を抜く」という評価がありました。そういった評価についての思いは何かありますか。
ありません。
――(司会)他にございますでしょうか。
ないことを期待します。
――こういう場ですと、受賞が決まった方に「おめでとうございます」という言葉を投げかけてから質問するのが通例ですが、ちょっとためらってしまう。蓮實先生は、受賞について喜んでいらっしゃるんでしょうか。
まったく喜んではおりません。はた迷惑な話だと思っております。80歳の人間にこのような賞を与えるという機会が起こってしまったことは、日本の文化にとって非常に嘆かわしいことだと思っております。
もっともっと若い方。私は、順当であれば、いしいしんじさんがお取りになられるべきだと思っておりましたが、今回の作品が必ずしも、それにふさわしいものではないということで。選考委員の方が、いわば「蓮實を選ぶ」という暴挙に出られたわけであり、その暴挙そのものは、非常に迷惑な話だと思っています。
――いま話にでましたが、「日本文化の状況にとってはよろしくない」と。今の文学の状況について、先生の目から見て何かものたりなさを感じるようなことはあるのでしょうか。今回、ご自身が作品を発表される背景にもそういうお考えがあったり…。
いえ、それはありません。
――「もっと若い方が取るべきだ」とありましたが、ついこの間、蓮實さんは早稲田文学新人賞で黒田夏子さんを選ばれて、彼女は芥川賞をとりました。必ずしも80歳ということ(が「暴挙」)なのか。それとも別の理由なのか。黒田さんも受賞時に70代の後半を超えていらっしゃったかと思います。「暴挙」と言われる理由についてもう少し具体的にお答え頂ければ。
黒田さんは若い方ですので、一切問題ないと思います。若々しい方ですし、文学としても若々しいものであると。従って、若者的な若々しさとは違う何かがあったので、私は選ばせていただきました。
――今回の作品は、舞台が戦争の始まる直前とはいえ、若い男の子が主人公で、非常に映画が好きで。なにか蓮實さんの若い青春期を思い起こさせるような…。
いや、全くそれはありません。あの、馬鹿な質問はやめていただけますか。
――わかりました。黒田さんの世界には若々しさがあると。私は蓮實さんの作品に若々しさを感じたのですが、そういう風にご自身で理解はされていたりしますか。
黒田さん(の作品)は傑作であり、私の書いたものは到底傑作といえるものではありません。あの程度のものなら、私のように散文のフィクションの研究をしているものであれば、いつでも書けるもの。あの程度の作品というのは相対的に優れたものでしかないと思っております。
――「相対的に優れたものでしかない」とご自身の批評、さすがだなと驚いているのですが…。
あの、おっしゃることと、質問が噛み合ってないと思います。いまおっしゃったことは必要ないと思います。
――単刀直入に伺いたい。今回3作目ですが、執筆しようと思われたきっかけがあれば伺いたいのですが。
全くありません。向こうからやってきました。
――依頼があったから書いたという…。
は?
――依頼があったから書いたと…。
いえいえ、そうでありません。
――「小説が向こうからやってきた」ということでしょうか。
そういうことです。
――逆に伺いたいのですが。研究者の目で「相対的に優れたものでしかない」と思いながら、小説というものは書いたりできるものなのでしょうか。やっぱり何か情熱やパッションがなければ書けないと思うのですが。
情熱やパッションは全くありませんでした。専ら、知的な操作によるものです。
――戦争に向かう今の時代の危うさとか、卑猥なイメージで読者を揺すぶってみたいとか。そういう意図はない感じでしょうか。
申し訳ありません。おっしゃることの意図がわかりません。
――先ほど「小説が向こうからやってきた」「知的好奇心」とも仰いました。「『ボヴァリー夫人』論」を書かれたことは大きかったんでしょうか。
それは非常に大きいものであったことは確かです。ボヴァリー夫人』論に費やした労力の、100分の1も、この小説には費やしておりません。
――「三島賞を与えたことは暴挙」とおっしゃったのですが、なぜ候補を断ることをしなかったのでしょうか。
なぜかについては一切お答えしません。お答えする必要ないでしょう。
――講評には「作品として一つの時代の完結した世界を描いている」という話がありました。この作品を現代の今、書く理由というものが、蓮實さんの中にあったのでしょうか。
全くありません。というのは、向こうからやってきたものを受け止めて、好きなように、好きなことを書いたというだけなんです。それでいけませんか?何をお聞きになりたかったんでしょうか。
――80歳になられるところですが、今年の執筆予定など決まっているものがあれば教えてください。
何についてでしょう。小説をまた書くということですか。
――小説とか、研究、批評とか。
小説を書くという予定はありません。書いてしまうかもしれません。なにせ小説というのは向こうからやってくるものですから。あと、ジョン・フォード論は完結しなければいけないと思っておりますが…。
この作品について、どなたか聞いて下さる方はおられないんでしょうか。
――何がやってきて、何について書かれたものでしょうか。文学的研究者として第三者だとしたら、どのように評価されますか。
評価については先ほど申しあげた通りです。「相対的に優れたものであり、あんなものはいつでも書ける」ということです。それから、最初の質問はなんでしたっけ。
――向こうから、何が来たんでしょうか。
向こうから来たというのは、いくつかのきっかけがあったことはお話ししておいたほうがいいと思います。
現在93歳になられる、日本の優れたジャズ評論家がおられますけれども、その方が12月8日の夜、あるジャズのレコードを聞きまくっていたという話があるわけですね。「今晩だけは、そのジャズのレコードを大きくかけるのはやめてくれ」と両親から言われたという話がありますが、その話を読んだときに、私はその方に対する大いなる羨望を抱きまして。結局、「1941年12月8日の話を書きたいなぁ」と思っていたんですが、それが『伯爵夫人』という形で私の元に訪れたのかどうかは、自分の中ではっきりいたしません。
――「書きたいなぁ」と思われたのはいつ頃でしょうか。
「書きたいなぁ」とは一度も思っておりません。
――何について書かれた作品なのでしょうか。
え?
――何について書かれた作品なのでしょうか。この中で、自分は何を書いたと…。
まったく何も書いていません。あの、お読みになって下さったのでしょうか。そしたら、何が書かれていましたか。
この小説は、私が書いたものの中では、一番女性に評判がいいものなんです。私は細かいことは分かりませんが、たぶん今日の選考委員の方々の中でも女性が推してくださったと私は信じています。
――今回は、場所は日本ですけれども、いろいろと海外もでてくる。回想の中でいろいろな場所がでてきますし、歴史的な背景も出てきます。改めて小説的なディテールを書くときに、何かお調べになることがあったのか。それは一切なく、想像の中だけで書き進められたのか。
私の想像の中だけで書き進めたわけですけれども、同時に読んでいた書物の中から、「あ、これは面白い」と拾ったケースなどもあります。
――伯爵夫人と若い青年との出会いというのが、なにか蓮實さんが映画でご覧になったり読んだりしたものが知らずに来たのか。それとも最初に伯爵夫人のような女性が先に出て来たのか。それとも逆に青年が先に来て、伯爵夫人がでてきてしまったか。その辺りお伺いできれば。
今のご質問ですけれども、私を不機嫌にさせる限りの質問ですのでお答えいたしません。
――冒頭の一文に「ばふりばふり」という、ちょっと変わった擬音語がでてきたり、おもしろい日本語、言葉が多いのですが。こういう言葉というのは、どういうふうに使われたのか伺いたいと思います。
「ばふりばふり」というのは、戦前に中村書店という漫画を出している書店がありました。その中で2人の少年が東南アジアに旅する話がありまして、その中で、東南アジアの天井に張ったカーテンを、冷房のために揺らすわけです。その時に「ばふりばふり」という言葉を使っていたので、私が今からほぼ70年前に読んだ言葉が、そのままそこに出てきたものとお考えいただいていいと思います。