ジャコメッティ/矢内原伊作
p17
写生の中で何よりも顔がむつかしい、顔の構造を知るためには長い間見なければならない。
私がモデルを傭わず、いつもディエゴ(弟)とアネット(嫁)だけを写生しているのはそのためだ。
私はきみの顔をそれほど見慣れているわけではないからうまくいくかどうかわからない、
ともかく今日と明日は記憶で試み、明後日デッサンしてみよう、記憶で研究してみなければ写生はできないのだから。
p19
いま自分がどういうところにいるのかさっぱりわからない
p23
人間の顔がこんなふうに見えるのは初めてだ。確かに自分には見えている。
しかし、それに達するのはどうしたらいいかわからない。とにかくもう一度やってみよう。
見えない
いや光のせいではない、自分にはよく見える、見えるがそこに達しないのだ。
見えないのはヤナイハラのではない。ヤナイハラをとらえる方法だ。
P24
おかしい 三十年も絵を描いていながらこんなことははじめてだ。
紙のどこに鉛筆をどうおろしたらいいのかわからない。まるで絵のことを知らない初心者のようだ。
p229
全部こわす。前進すればするほど、完全にこわすようになる、こわすことを恐れなくなる。これが進歩だ。そしてすぐに再び建築できるようになる。
昨日苦労して仕事したものを忽ちこわしてしまった。昨日の仕事は必要だったのだ、こわすために作らなければならなかったのだ。
p235
昨夜、前進すると興奮したが、今朝になってタブローを見たら、悪いので悲観した。小立像を何時間もやったがうまくいかなかった。
私は頭がおかしい、病気か偏執狂ではないかと思う。
細部と全体を同時にやらなければならない。私は、いままでの私の人生の中でやらなかったことをやっている。それが私の神経を鎮める。
どうするか、これをするか、何もしないかだ。私は可能なことの一切を試みる、それだけだ。
まったく惨憺たるものだ、前よりも悪い。
p260
全体を見れば部分が作れず、部分を作ろうとすると全体が見えない。二つ同時にやらなければならないのだ。
これはとてつもなく困難なことだ。もしもできれば、そのとき私は一切を獲得するだろう。
私は困難を本能的に避けている。が、私はこの難問をほとんど把握しているのだ。
これは悪い、救いようがない。私は恥ずかしい。
こんな状態でやめるのは残念だが、明日を待たねばならぬ。
これは不条理な仕事だ、狂人物語だ、まったく不可能なことだ。
小さな開口部が見えた。まったく不可能だと思われたときに、はじめて突破口が開ける。
不可能にならなければ、仕事は進まないのだ。
両方とも前進した。まだ何もないが
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