最高齢92歳の石田富蔵死刑囚が拘置所で死亡
法務省は19日、昭和48、49年に起こった埼玉県の2女性殺害事件の石田富蔵死刑囚(92)が同日午前、収容先の東京拘置所で死亡したと発表した。
がんで治療中だったという。現在収容されている確定死刑囚の中では最高齢だった。
確定判決によると、石田死刑囚は昭和48年8月、当時交際していた、夫のいる女性=当時(33)=に結婚話を持ちかけ、
拒否されたことから埼玉県内の農道で首を絞めて殺害、女性のバッグから所持金を奪った。
さらに49年9月、埼玉県内の飲食店でこの店の鍵を拾い、深夜に同店に侵入、
寝ていた女性経営者=当時(50)=を絞殺し、貴金属などを奪って逃走した。
1、2審とも死刑を言い渡され、最高裁も平成元年6月に上告を棄却し死刑が確定した。
(2014.4.19 産経ニュース)
埼玉女性2人殺害事件(事件史探求)
死刑確定囚(1986〜1990年)
石田富蔵
事件当時年齢 51歳
犯行日時 1973年8月4日/1974年9月13日
罪 状
殺人、窃盗、死体遺棄、死体損壊、住居侵入、強盗殺人、強盗強姦未遂
事件名
2女性殺人事件
事件概要
埼玉県の鳶職石田富蔵被告は妻の死後、夫のある女性(当時33)と情交関係を持ち、結婚を望んだが、1973年8月4日午後8時頃、埼玉県内の農道上で女性に情交を拒絶され罵倒され、さらに別れ話を持ち出されたため激昂。女性の首を両手で絞めて殺害。死体から現金2600円や腕時計等を奪い、さらに屍姦。その後死体を道路脇の材木の中に隠し、廃油をかけて焼却した。
埼玉県内にある飲食店の鍵を偶然拾ったことから、1974年9月13日午前2時30分頃に侵入。物色中に顔見知りの女性経営者(当時50)が寝ているのを見て強姦しようとしたが抵抗されたため、首を絞めて殺害、指輪等を奪った。
窃盗の余罪3件がある。
一 審
1980年1月30日 浦和地裁 杉山英巳裁判長 死刑判決
控訴審
1982年12月23日 東京高裁 菅間英男裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
上告審
1989年6月13日 最高裁第三小法廷 坂上寿夫裁判長 上告棄却 死刑確定
裁判焦点
74年の事件は無実、73年の事件は自ら良心に従って傷害致死を告白したのが殺人にでっち上げられたと主張。さらに死体焼却等を否認。
最高裁は「わずか一年余の間に、欲望のおもむくまま罪のない手向かうすべのない女性2人を殺害しており、冷酷無情な犯行で、極刑はやむをえない」として上告を退けた。