「自白」、遺体の状態と矛盾=解剖した教授指摘―栃木女児殺害公判
2005年に起きた栃木県今市市(現日光市)の小学1年吉田有希ちゃん=当時(7)=殺害事件で殺人罪に問われた無職勝又拓哉被告(33)の裁判員裁判の第6回公判が8日、宇都宮地裁(松原里美裁判長)であった。
弁護側証人として、有希ちゃんの遺体を解剖した筑波大の本田克也教授が出廷し、被告が自白したとされる殺害の状況と遺体の状態に矛盾があると指摘した。
勝又被告は殺害時の状況について、「05年12月2日午前4時ごろ、茨城県の林道で、立たせたまま胸をナイフで複数回刺し殺害し、遺体を抱きかかえ(近くの)山林の斜面に遺棄した」などと自白したとされている。
本田教授は、有希ちゃんの傷口の形状や、発見時の遺体の体勢などから、「あおむけに寝た状態で刺された」と指摘。胃の内容物などを基に、「1日午後5時ごろから2日午前0時ごろまでに死亡した」との見解を示した。
(時事通信 2016年月8日)
栃木女児殺害公判 遺棄現場での殺害は「ありえない」 遺体解剖の法医学者が証言
平成17年に起きた栃木県今市市(現日光市)の小1女児殺害事件で、殺人罪に問われた勝又拓哉被告(33)の裁判員裁判第6回公判が8日、宇都宮地裁(松原里美裁判長)で開かれ、殺された吉田有希ちゃん=当時(7)=の遺体を解剖した本田克也・筑波大教授(法医学)が出廷、勝又被告の自白に遺体発見時の状況と矛盾する点があることを証言した。
本田教授は弁護側証人として出廷。有希ちゃんの死因を失血死と判断した理由を「体内の血液がほとんど失われていた」と説明した上で、遺棄現場に残った血液のルミノール反応は「指を切ったか鼻血程度の量。大量の血液が出た場合は血だまりなどができるはず」と指摘した。
こうしたことから、「茨城県常陸大宮市の林道で刺して、十数メートル離れた場所に投棄した」という被告の自白について、「殺害現場と遺棄現場がほとんど変わらないというのはありえない」と述べた。
また、右肩が浮き、逆方向に頭が向いていた遺体の体勢についても、殺害直後に平面や斜面に遺体を投げ捨てた場合にはありえないと指摘。実験の結果、車内のシートのような場所で寝かせて殺害、死後硬直した後に遺棄した可能性があることを示唆した。
傷の深さから凶器は刃渡り約10センチ前後の刃物と推定。遺体の傷は胸に集中しており、「手足にはテープが巻かれたとみられる痕があった」と証言した。
検察側は2月29日の冒頭陳述で「勝又被告は17年12月1日午後、有希ちゃんを車で連れ去り、2日、車で山林に連れていって同日午前4時ごろ、ナイフで刺して殺害、遺体を山林内に投げた捨てた」と述べており、弁護側は、被告の自白には矛盾があると反論している。
(産経新聞 3月8日)
栃木県・旧今市市の女子児童を殺害した罪に問われている勝又拓哉被告(33)の裁判で、遺体の解剖医が証人として出廷し、勝又被告の自白内容と、遺体や現場の状況との矛盾を指摘した。
勝又拓哉被告は、2005年、旧今市市の吉田有希ちゃん(当時7)を殺害した罪に問われており、一時、犯行を自白したが、裁判では無罪を主張している。
勝又被告は、逮捕後、「茨城県の林道で有希ちゃんの胸をバタフライナイフで刺して殺害し、山林に投げ入れた」と自白していたが、弁護側は、自白は強要されたと主張している。
8日の裁判に弁護側の証人として出廷した解剖医は、「遺体からは1リットル以上出血したと考えられる」とした上で、「遺棄現場付近には血液の痕跡が少ないため、殺害場所とは異なる」と述べ、自白との矛盾を指摘した。
また、勝又被告は犯行に、「スタンガンを使った」とも自白しているが、解剖医は、検察側がスタンガンによるものだと主張する有希ちゃんの首の傷について、「ひっかき傷だ」と主張した。
栃木女児殺害事件公判 被告人質問 「パニックになり調書にサイン」
平成17年12月に起きた栃木県今市市(現日光市)の小1女児殺害事件で、殺人罪に問われた勝又拓哉被告(33)は3日、宇都宮地裁(松原里美裁判長)で開かれた裁判員裁判第4回公判で「『人を殺したことあるでしょ』と何度も聞かれてパニックになり、供述調書にサインした」と述べ、改めて無罪を主張した。
この日は初めて被告人質問が行われた。弁護人の質問に答え、勝又被告は「気が付いたら、後ろの看守が肩を揺さぶり、『調書にサインしろ』と言い、訳も分からずにサインした」と証言。事件で犠牲となった吉田有希ちゃん=当時(7)=は「話したこともなく全く知らない」とした。
「殺人を母親に謝罪する内容」と検察側が主張する勾留中に書いた手紙については「看守に言われるがまま書いた」とし、看守に言われて書き直すうちに「意味の通らない文章になった」と説明した。弁護人が手紙についての質問を続けると、涙声になり、腕で顔をぬぐっていた。
一方、検察官は手紙を書き直させた看守は誰かと問いただした。勝又被告は「班長と呼ばれていた人。名前は分からない」とし、「まさか(手紙が)裁判で使われるとは思わなかった」とした。
閉廷後、担当検察官は「看守が手紙を書き直させたというのは聞いたことがない」とし、宇都宮地検の金子達也次席検事は「(看守を)証人として出廷させることを検討中」と述べた。
「警官に平手打ちされた」 今市女児殺害、弁護側が主張
2005年に起きた栃木県今市市(現日光市)の小1女児殺害事件で、殺人罪に問われた無職勝又拓哉被告(33)の裁判員裁判は4日、宇都宮地裁で捜査段階の自白の任意性についての審理が始まった。弁護側は「黙秘すると警察官に平手打ちされた。強制や脅迫があり、意思に反した自白だ」などと主張した。
被告は商標法違反罪で起訴された14年2月18日の取り調べで、殺害を自白したとされる。弁護側は同日以降、被告が殺人容疑で逮捕される6月3日まで殺人罪の取り調べを長期間受けていたと指摘。「捜査機関は被告を商標法違反容疑で『別件逮捕』し、起訴後も不当に身柄を拘束した。精神的にも肉体的にも不安な状況で、うその自白をせざるを得なかった」と訴えた。
被告人質問で「(殺人罪での起訴前に)なぜ自白したのか」と検察側に問われた被告は「警察官から『自白すれば刑が軽くなる。自白しないと死刑にされるかもしれない』と脅された」と話した。
また殺人罪での起訴後、拉致やわいせつは認めながら、「殺害は別の人物が行った」と供述を変えた理由について「警察官の話が頭を離れず、少しでも認めた方が罪が軽くなると思った」と説明。弁護士から供述の矛盾を問われ、昨年5月ごろから全面否認に転じたという。「本当のことを言いたくて仕方なかった」と当時の思いを述べた。
一方、検察側は取り調べについて「厳しく追及した場面もあるが、被告の自由な意思でなされた自白だ」と主張。取り調べの様子を録音・録画した記録を法廷で明らかにし、任意性を立証するとした。
また、事件の捜査責任者だった栃木県警の警察官も出廷。「遺棄現場から帰る途中に常磐道に乗った」と被告が供述した通り、遺体が見つかった05年12月2日未明、茨城県の那珂インターチェンジの料金所の防犯カメラに被告の車と同型の車が映っていたと明かした。
(朝日新聞デジタル 3月5日)